長年の「自分探し」は、もう終わったんだね

「私はどういうふうに生きたらいいのだろうか? どんな職業についたらいいのだろうか?」と高校生のころから悩んでいた。
えっと、高校生ならそげな青臭い悩みは付きモノだから、まあ許されるわな。

高校を卒業したあとは、親が希望した会社に就職して事務の仕事をしていた。
事務といっても大むかしだから、大量の宛名書きとか封筒詰めばかりやっていた。

私は、宛名書きやゴム印押しをするために生まれてきたのだろうか? そういう疑問がずっとアタマに浮かんでは消え、浮かんでは消えしていた。

何年勤めても仕事の内容は変わらなかったので、結局その会社は辞めてしまった。その仕事を定年までやりつづけることはとうていできそうもなかった。
そのあと、4ヵ所ほどパートを転々としたけど、どこも長つづきせずすぐにケツを割ってしまう。

なんかねえ、どの仕事もしっくりこないんだよね。
どこで働いても「コレをやるために生まれてきたのか?」っちゅうと、いやあ、そんなわけないよなと思ってしまう。

五十もなかばを過ぎているというのに、やっぱりまだ高校生のときと同じ悩みがグルグルしていた。
白髪はワサワサ増えるというのに、気もちはずーっと青々していてぜんっぜんオトナになれない。

そうしたら、たまたまカウンセラー先生が、ここ2年ほどのあいだ「ライフワーク」に関する本を出版したりセミナーをやったりしはじめたので、そいつらとわちゃわちゃやってみたら、だんだん自分の問題点があきらかになってきた。

そもそも、私の前提が大まちがいだったのである。
「『仕事』を生きがいにしなければならない」と思い込んでいたのがまちがいだったのだ。

ライフワーク(生きがい)なんて、本当にヒトそれぞれ多種多様で、「仕事」がライフワークにならないヒトなんていくらでもいるとわかった。
「家事」がライフワークのヒトもいれば、「ボランティア」がライフワークのヒトもいる。ライフワークが「無職でブラブラ」というヒトにもじっさいにセミナーでお会いした。

「そのヒトらしい生きかた」であればなんでもいい。自分がしあわせを実感できていればそれでいい。

で、あらためて自分自身をじっくり観察してみたら、私は「働くことが大キラい」だと判明したのである。
仕事が大キラいなのに、その仕事で生きがいを見つけようとしていたのだから、そりゃウマくいくはずがない。仕事にこだわっているかぎり、何十年探しても、そんなもん見つからへんで当たり前じゃ!

そういうわけで、40年ごしの悩みはめでたく解消した。わぁい、自分探しはおしまいだあ。
ワシの生きがいはだね、山とか放浪とか、クルマ、音楽、ネット、そんなヤツなんだよね。それでしあわせになる生きモノだったんだよ。いまごろわかったよ。

だから、私にとって「仕事」はタダのメシの種にすぎない。
決められたシフトの時間だけ、ちーんとイスに座っておったらそれでよろしい。

という感じでユルユルに勤めているのが、いまのパートなんだけど、ぜんぜん気合いを入れていないにもかかわらず、いや、もしかすると気合いを入れていないからこそ、なんとなく「悪くない」のである。

とりたててデメリットが見当たらない。むしろ、周りがいいヒトばかりだし、残業はゼロだし、規律正しくちゃんとした会社だし、思いのほか居心地がいい。
なので、この仕事については「大キラい」とはちょっと言いがたい。少なくとも、仕事をしている最中はけっこう夢中になっていて、イヤだという気分は湧いてこない。

よかったねえ。きっとカウンセラー先生や、私を案じてくれるひとたちのおかげで、この会社に採用してもらえたんだねえ。
いまはもう、積年の悩みもすっかりなくなったんだし、とりあえずこの仕事に粛々と取り組んでいこうかね。

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