数年まえから心理学セミナーが大好きで、ちょくちょく通っている。
いっちゃんはじめにファンになったのが、カウンセラーN先生で、心理学そのものもおもしろいけれど、N先生ご本人がすさまじく魅力的なので、どハマりしてしまった。
つぎのハマッたのが、カウンセラーO先生。このかたは音楽家でもあるので、その音楽の才能も光り輝いていて、これまたのめり込んでしまう。
でさあ、こないだ4月からピアノのレッスンを受けているその先生が、メガトン級の存在になっちまったでしょ?
ワシ、この3人の先生に出会えただけで、生まれてきた甲斐があったわ、もういつお迎えが来てもよろしおますって境地だけど、コレってなんなん?
いや、それはね、自分でもウスウスわかってた。
こんなに「先生という立場のヒト」に惹かれるのは、ワシが単に「コドモ」だからなんだよね。
「先生」って、ワシにとっては「親代わり」なんだよ。
つまり、まだまだずっと「コドモ」でいたくて、「親」みたいなヒトの後を付け回してしまうんだ。
そんなこたぁ、それこそ心理学をネチネチやってんだから、よぉくわかってんだよっ!
でも、やめらんないんだよっ!
ずっと「オコチャマ」でいたいんだよっ!
じゃあ、どうすれば「オトナ」に成長できるのか?
ってことを、心理学セミナーで延々と取り上げているわけで、その「王道」はやっぱり「親との関係を根底から見直す」ということ。
N先生とこでのプロセスは、「親への怨みつらみをすべて出す→親を感情的に理解する→親に感謝する」という3段階。
なんだけど、コレって非常にむずかしい。だいたい挫折するっちゅーか、そもそもやる気出なくて取りかかれない。いっちゃん見たくない「地雷原」だから、ま、ずっとフタしておきたいのがふつうなんス。
N先生は長年コレに取り組んできたけど、しかし近年はべつのルートを発見された。
それは「ライフワークを生きる」ということ。具体的には「好きなコトをとことんやってみる」ってこと。
N先生「なんかね、そっちのほうが早いんですよ。好きなコトに夢中になっているうちに、あれっ? いつの間にか親の呪縛から解き放たれたって感じで」
なので、親の問題だろーが、パートナー問題(コレもモトを正せば親問題)だろーが、仕事問題だろーが、すべて「それじゃ、まずは好きなコトやろーね」ってとこに持って行かれる。
そうすると、まあ「その『やりたいこと』がわからない」難民がゾロゾロ湧いてきた。
ワシも、ライフワーク関連のセミナーにだいぶん通ったけど、自分自身はもちろん、ほかのヒトたちも、そんなカンタンにすぐに「ライフワーク」なんてわからんのよ。
去年に宿泊セミナーも行ったけど、グループ組んで午前中からはじまって、深夜12時過ぎても、明け方の4時になっても、「ああ、コレがワシのライフワークじゃ!」なんて出てけえへん。
ただ、こんなふうにあーだこーだ関わったり、自分でもワークに取り組んだりしていることは、やっぱりココロのどこかに影響を及ぼしてくれている。
結局、ワシの場合は、なぜか藪から棒に「ピアノ」が噴出してきた。それも今年に入ってからようやくね。
とにかく「ああ、ホンマやりてえ!」って思ったから、すぐ飛びついてすぐはじめた。
で、無我夢中の4ヵ月が経過したけど、じつは先日のセミナーでちょっと変化を実感できたのだ。
N先生とO先生に「かまってもらいたい」という思いは変わらずにあった。
けれども、なぜか「受講生のヒトたちの人生」にもすごく興味が湧いてきたのだ。
心理学セミナーなんて、これまで数えきれないほど受けてきたけど、受講生のヒトたちとはずーっとあまりウマくかみ合わなかったんだ。
もちろんハナシはするんだけど、それは「相手のヒトのハナシを聴いてあげないといけない」という義務感が強すぎて、あとで非常に疲れ切ってしまっていた。
だから、懇親会もあんまり好きじゃなかった。
「ハナシをよく聴けるイイヒト」を演じてしまう自分にも嫌気が差してしまっていた。
しかし先日のセミナーでは、はじめて受講生のヒトたちと話していて楽しいなあと実感できた。
ホント、はじめて。
「先生」じゃなくて、同じ受講生のヒトのハナシもすごいなあって思えた。
で、いま思い返すと、あ、もしかしてワシ、ちょびっとだけ「親離れ」できたかもしれない。
ずーっと13才ぐらいで止まっていた自分が、ようやっと「親」から離れて、「同級生の世界」に興味を持てたのかもしれない。
ふうん、でもそんな変化が生じたのは、え?やっぱりピアノのせい?
だとしたら、えーっ?! ワシにとってピアノってそんなにも特別なモンなの?
ピアノってなんなん?!
とまあ、心理学もピアノも好きこのんで、これからもコネくり回そうっと。