たしか河合隼雄さん(臨床心理学)がどこかで書いていたと思うけど、およそ「悩み」が発生しとるときって、僅差で揺れ動いているときらしい。
甲にするか乙にするかの割合は「51対49」だと言っていた。まあ、そのぐらいしか差がないから、決めかねて「悩み」になっちゃうんだろね。これが「90対10」とかだったらあきらかに甲で決定だから「悩み」にはならない。
でも、せいぜい「2」ほどしか差がない場合、フッと「49対51」になったり、またもとの「51対49」に戻ったりとかなるわな。
ところで、ワシの音大(某芸術大学)進学の欲望っちゅーのはだ。そう、その「51」なんだよね。
「行きたい 対 行かなくてよろしい」はちょうど「51対49」なのだ。
というのは、「音楽を学ぶ」ためには、べつに「音大進学」って必要ないやろ?
いっちゃん肝心のピアノの実技は、もうすでに先生に教えていただいているのだから、そのうえプラスアルファの座学とかってなんなん?
だからよくよく考えると、「いや、それでも音大行きたいねん!」って言い張るって、なんかおもくそ先生に失礼なような気がしたりする。
なので、本質的に音大はいらへん。それだから「行かなくてよろしい=49」なのだ。
でも、「行きたい=51」はものすごく安定してる。どっしり揺らがない。ふつうは「51対49」と「49対51」のあいだを行ったり来たりして、それこそ「悩む」ところなんだけど、それがねえ、いちども悩んだことがおまへん。
「行く」って決めてる。決めたモン勝ちや。
こういうふてぶてしいモノの決めかたは心理学で学んだ。
「決めるのは自分でよろしい」「決めたことを神サマにオーダーするだけでええ」「ふたつ欲しいモノがあったら、両方欲しいと言え。みっつでもよっつでもかまへん」とかしょっちゅう聞かされてきたんで、ああさよか、行きたかったら行きたいでええんやなと「思い込んでしもうた」。
あ、いまたまたまN先生のブログをのぞいたら、ついこないだN先生こう書いてる。
「私、『AかBかほしいんですけど、どっちがいいと思いますか?』と問われたら、迷わず『両方欲しいと言え!両方手に入れると言え!方法は神様が考えるんやから、あんたは希望だけを言うとけ!!』と怪しい話をする者です。」
合ってるや~ん! ワシ、心理学とピアノに関してだけは脳ミソ縮んでても歩留まりええわっ!
なので、このごろはピアノの先生に対しても、いや失礼に思われるかどうかって、そりゃ先生の領域なんやから、そんなんワシが心配せんでもええわと思って、どーんと安定して某芸大行く気マンマンでレッスンに通っとる。
先生もきっとよくわかってくださってると思う。だからこそ「夜10時とか朝9時のレッスンでもかまいません」とまでおっしゃってくれるんだろう。いや、さすがにそんな時間にならないようにつぎの仕事は選ぶけど。
さて、「51」のまんまデーンとケツが動かんのは「ココロの環境」ってのも大きい。「ココロの環境問題」というのもカウンセラーN先生の発案だ。
「やりたいことを実現するためには、ソレにふさわしい『環境』をまず整えましょう。みなさん、環境とかエコとか気をつけてると思いますが、『夢実現のための環境』って意外と見落としがちなんですよ」とのこと。
たとえば、結婚したいヒトだったら、市役所行って婚姻届もらってきて、ソレに自分の名まえ書いて部屋の壁に貼っておくとか、夢が叶ったときの生活ぶりをイメージワークでありありと思い浮かべるとか、そういう具体的な方法ももちろん教えてもらった。
その点、ワシのいまの環境はすばらしいと思うわ。
なんせいま住んでるマンションは、その某芸大女性専用のマンションですねん。大家さん言ってたけど、社会人はワシのほかにあとひとりだけで、残りは全員某芸大生なんやって。そうそう、ピアノや声楽、管楽器の練習してるおねーさんもいてはる。
で、某芸大は徒歩10分のとこ。あ、でもババアの足だと15分かかる。某芸大のまえは一日必ず2回は通る。どうかすると4回通ったりする。大学のとなりのスーパーが行きつけだし、大学のまえの道通って通勤してるし。
なので、これだけ某芸大にまみれていたら、え?こんだけ毎日毎日見てたらソコ行って当たり前ちゃう?とか錯覚するねん。
もはやイメージワークなんかぜんっぜんいらへん。見たらソコに大学あるもんな。便利やわ。
さあて、あとはピアノの練習とゼニの調達やけど、まあなんとかなるんちゃう?
N先生がこれまたしょっちゅう言ってるけど、「とくにお金の問題はね、好きなことに関しては『なんとかなる』んです。そして『なんとかする』んですよ。好きなことのパワーをナメたらいけません」
うん、なんとかするぜっ!