さて残りの人生のうち、「介護なしで暮らせる」のがおおよそ16年とわかった。てか、ふつうに生活できるのはせいぜい70才までと見積もっておいてよさそうだ。それだったら残り12年だね。
ワシは、他人から見るとまあまあ元気そうに見えるみたいなのだが、いやぜんぜん。ものすごくしんどい。生きてるだけでこんなにしんどいんだったら、70才ぐらいでおしまいにしてもろたほうがよっぽどかラク。
今日はようやく休みの日だったけど、どうしても起きられなくて午後2時までふとんの中だった。シューベルト:楽興の時第4番の「タンタンタンタン」って刻むリズムがアタマで鳴ってた。あの短調、あのあきらめきったような無窮動がたいそう慕わしい。
タンタンタンタンを弾くだけの毎日だったら至福のよろこびで満たされるだろうに、どういうわけか「仕事」をしないと生きていけないっちゅー難題が立ちはだかっている。タンタンタンタン、それでもシューベルトの生涯はたった31年間だった。ピアニストB氏が「怒りを覚える」って言ってた。
ワシはすでに57年もムダに生きてきて、ホンマやったら一生シューベルトなんて弾けないはずやったのに、いったいどうして来月の発表会にこの曲を弾くという僥倖にあずかれるんだろう?
って考えてたら、あの曲の中間部は、そうや、桃源郷で「透明な美酒」に酔いしれるみたいな気分で弾いたらええんかもって思いついて、ようやっと起き出してピアノを弾いてみた。
もうね、時間ないね。
だから、「やりたくないこと」は徹底してやらないことにする。
年賀状は10年ぐらいまえからやめているけど、どうかすると出さへんといかんかねえ?って気分になる。うっかりもらってしまうと、やっぱり返事を書いてしまう。ソレもわざわざパソコンで印刷したりしている。
あ、そんなんもうヤメにしよ。ワシは年賀状出したくない。返事も書きたくない。そんなめんどくさいことはやりたくない。だからいっさい出さないことに決めた。ソレで切れるご縁だったらそれまでのことや。関係ないわ。
あと、テレビ。
アンテナ線を旧居に置いてきたから、7月からテレビを見てない。
もともと父ちゃんがテレビ嫌いで、子どものころからほとんど見たことがない。ちゃんと見たのは、阪神淡路大震災で被災したあと、会社の寮に仮住まいしていたときだ。32才から見はじめたけどうまくなじめない。テレビのスピードが合わない。早すぎる。
それでも、世間について行けるようにと思って、ニュースを毎日30分だけでも見るようにがんばってきた。
けれども、ソレもヤメにするわ。義務感で見てもしゃーない。見たくないもんは見いひん。テレビもヤメじゃ。ネットニュースも興味ない。ワシ、ニュースとかいらんねん。
そうやって「やりたくないこと」はどんどん削っていこう。人生は「有限」なのだ。あと12年しかないのに、義理だの義務だのだれかにどう思われるだの、そんなこと思てるヒマないわ。そんなモンはバッサリ切って捨てていこう。