これまで数え切れないほどパートを転々としてきた。長年そんなことやってたら、行き着く先は「下流老人」だった。いつの間にかエラくぴったりの称号ができていた。気に入ってるわあ。
しかし、そもそもこのぐらいのトシになったら「老後に備えて貯金」をしないといけないらしい。いやあ、ワシ貯金ってしたことないんよ。小金が貯まったなと思うと放浪とか行っちまうから。30万円ぐらいあると、ああパートやめて遊ぼうってなる。全財産が10万になると、ハロワ行こかなって思う。
一度だけ所持金8,000円ってときがあって、そのときは教会でお米とかもらった。以降、さすがに10万は切らないように心掛けてきた。そんな感じでずっとやってきたけど、とくに困ったことはない。最低賃金パートばっかり途切れ途切れなんだが、まあなんとかなるもんだ。
ただ、やにわに某芸術大学へ行きたくなったので、その学費とかなんやらかんやらを用意するのがタイヘンだ。とりあえず1000万円いるらしい。あんれまあ。もちろんゼニの準備はともかく、ピアノの実力が問題だけど。
じつは、こないだのレッスンのとき、ピアノの先生にこう尋ねられた。
「はじめてお会いしたときに『某芸大へ行きたい』と言われていましたが、いまはどうお考えですか?」
え? それは安定してずっと「51対49」だよ!ととっさに思った。「行く」対「行かない」=51対49。いや、501対499でもいいかな? 行く行かないの差はごくわずかなのだ。なぜなら、音楽の本質に大学教育は関係ないでしょ? もうすでにピアノのレッスンをこうして受けているんだからそれだけでも十分だよね。
よく考えたら、座学(だけじゃないだろうけど)のために1000万つぎこむってなんなん?! でも、どっしり安定して「行きたい」が「51」なんだよね。コレ、ただの一瞬も迷ったことがない。
なので、先生に対して「はい、気もちは変わりません」とワシは即答した。先生は「そうですか」と言われただけだった。で、ワシはあわてて「ずっと先でいいですっ!」と付け加えた。ずっとって何年だろうと思いながら。
ぜんぜんお金のメドが立たないのに、それでもやっぱり音大へは行きたい。それに、現在すでに「音大受験向け」のレッスンを受けられていることがものすごくうれしい。
いまは「ハノン、ツェルニー30番、バッハ:シンフォニア、ソナチネ」が課題だけど、これがいつかは「ハノン、ツェルニー40番、バッハ:平均律、ソナタ」になるかもしれない。このなかでも抜きん出て楽しみなのはバッハだ。バッハは大好きだから、インベンション→シンフォニア→平均律という道のりを想像するだけで悶絶しそう。
まあ、そういうことをやってみたいだけなんだよね。音大へ行きたいのもあるけど、それまでの過程もきちんとちゃんとぜんぶたどってみたいんだよ。富士山をふもとからジリジリと登ってみたいんだよ。ただもう「富士山めざして一歩一歩」ってだけでおもしろいじゃん? 山登りも頂上だけが目的じゃなくて、それまでの山道をたどるのが楽しいもんね。