あのふたりのコドモでよかった

巷の心理学では、たいてい「小さいころはどうでしたか? お母さんは? お父さんは?」というところに帰着する。ほぼすべてのことを親から学ぶからだ。

日本語をしゃべることができるのはどうして? 親のマネだよね。ついでに方言もマネするはずだけど、母ちゃんは継子育ちのコンプレックスが非常に強く、標準語をムリしてしゃべるヒトだった。継母1号は地方訛りのあるヒトだった。母ちゃん、ぜったいそのコトバをしゃべらん決意やってん。7才のコドモなりの反抗だった。

なので、母ちゃんは自分のコドモにも標準語で話しかける。コレはかなり徹底していたらしく、ワシはいまだじょうずに関西弁をしゃべれません。イントネーションは関西だけど、周りのヒトみたいに自然な関西弁はやっぱりできない。

いつだったかピアノの先生にも「春子さんはあまり関西弁じゃありませんね」と言われて憮然とした。小さいころからうっかり関西弁しゃべると怒られとったからね。その不満が漏れ出て「母が変わったヒトで、標準語をしゃべるように強制されたからです」なんて言い訳してしもうた。



さて、コトバにかぎらず、親の価値観も強く影響を受ける。ワシは父ちゃんが大好きだったから、おのずと父ちゃんが好きなモノは理屈抜きでええモノやと信じていた。父ちゃんはクラシック音楽が好きでほぼ毎日レコードをかけていた。とくにベートーベンが好きで、交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ・ソナタ、弦楽四重奏とかまんべんなく年がら年中聴いていた。ベートーベンのほかにはモーツァルトとかオペラとか。イタリアオペラもずいぶん聞かされた。ジャズ、ヨーデル、軍歌も聞いた。

で、父ちゃんはテレビがキラいだった。すると、ワシって結局ずっとレコードばかり聞かされて育ったことになる。

じゃあどうなるか?というと、まず学校でテレビのハナシがぜんぜんわからなくなる。ふつうの家庭ではテレビを見るのが標準らしいとうすうすわかってきたが、タレントさんとか歌手の名まえがまるっきりわからない。だれもが当たり前に知ってるコトを共有できない。それだけが理由じゃないけど、やっぱり友だちができなくて寂しい思いをする。

そして、おカネの扱いかたも親由来が大きい。父ちゃん、貯金なんてせえへんかったからね。なんせ遺産が70万円ぽっちだった。ワシの妹もたまにメールで「いま現金3万しかない」とか書いてきよるわ。みんなゼニないのが当たり前の状態。

そもそも父ちゃんは「老後の備え」なんてぜんぜん考えておらんかった。あのおっさん、「記録」はするけど「計画」はなかった。



ただ、いまになって思うと、そういう親に育てられてよかったなあ。

もし仮に「老後を心配してせっせと貯金する親」だったら、ワシはいまごろから音大に行こうなんて考えなかっただろう。大学に行きたいと思ったとしても、将来が不安であきらめたかもしれない。

だけど、もともと父ちゃんが「芸術家や学者」を尊敬していて、そういう真実を追求する人生こそが正しい在りかたやっちゅー価値観だったから、ああやっぱりそっちの方向でまちがいないなと思えてしまう。

なのでね、休みの今日、日がな一日ピアノをヨタヨタ練習していると、ホコホコうれしくなってきて、ああコレコレ、ここに戻ってきていっちゃん落ち着くな、これまでずいぶん回り道したけど、やっぱりピアノ弾こう、あのふたりのコドモだからやっぱり音楽やろう、むかしからすぐそばにあった場所にちんまり居ることにしようと思うわけよ。

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