老いて失うものも多いけれど、ずっとなくならないものもある

やっぱり「記憶力の低下」はヒドい。
パート先でもときどきあきれられる。「春子さん、本当に忘れてますね」と若い先輩さんが感心したように言うけど、いやホント、そのとおりだと自分で思うし、だれかにわかってもらいたいから、そんなふうに言われると半分ホッとしたりする。

けれども、残り半分は悔しい。アナタも還暦前になったらこうなるぜっ!と内心毒づいている。どんなに努力しても、バサーッと記憶を失っていく空しさを、そりゃいまのアナタは想像もできないだろうがいずれそうなるんだよ。

お客さんの顔と名まえだけはかろうじて覚えられる。「ストアカ/シンが教える記憶術」セミナーで教えてもらった記憶術で、これだけはだいじょうぶだ。

しかし、日常発生するすべての出来事を覚えておくことは不可能である。たとえば、そのお客さんが昨日来たかどうかはもうムリで、バッサリ記憶から抜け落ちている。ヒドいときは、午前来たことを午後には忘れている。



「〇〇さんがいついつ来店しました、××を買いました」ってことは、すみやかに削除されていく。お客さんとの会話もすべては覚えきれない。勝手に忘れているんだからどうしようもない。記憶術を使えなくはないけど、そんなことまで逐一記憶に留めるのはあまりにもめんどくさすぎる。

けれども、こんなことを忘れているのが、若いヒトたちには信じられないらしい。まあ、だから去年勤めていたパートをクビになったんだよね。たしかにそこまでアホになってるババアは使いモノにならないと判断されてもおかしくない。

「さっきあったことをもう忘れている」「昨日教えたことをもう忘れている」というのは、かなり「異常」と思われてしまう。だから「病院行ってますか?」って言われてしまった。自分でも覚えられないことに困っていたから、すぐに「もの忘れ外来」を受診したけど、「認知症ではない」と診断されて治療の対象にはならなかった。

でもね、現実にはやっぱりいまの職場でも「おかしい」と言われる。日々新しく起きる事柄は、ほぼ記憶に残らない。ザバーッと波にさらわれるようにつぎつぎとなくなってしまう。



ピアノの先生に貸していただいたCDを聴いていて、悲しくなった。
曲がアタマに残らないのだ。歌曲だから1曲ほんの数分なのに、繰り返し聴いても覚えられない。きれいだな、うつくしいなあと思うのに、聞き終わったあと、どんな旋律だったかまったく思い出せない。

ああ、こんなにもバカになっているんだ。音楽が好きなのに、新しい曲をまるで覚えられない。

あまりにもげんなりしたので、ついYouTubeを聴いてしまった。
▼プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」/「私の名はミミ」

ワシがコドモのころ、しょっちゅう聞かされていた。父ちゃんがレコードを年がら年中かけるから、オペラでも交響曲でもピアノ・ソナタでも丸々ぜんぶ覚えている曲がかなりたくさんある。このアリアも、オーケストラ含めてすべてよくよく聞きなじんでいる。妹もきっと覚えているはずだ。



そう、コドモのころに覚えたことはなくならない。このアリアも、2:18あたりからはじまる光が差し込むような旋律を、コドモのときもそこを聴くのをとても楽しみにしていた。2:55から盛り上がるところ、いま聴いたら涙が止まらないなあ。

新しい曲を覚えられない辛さがやわらぐ。
もうすでに「与えられているもの」が十二分あることに気づかされる。父ちゃんが残してくれた遺産だ。

親が与えてくれたものはなくならない。
だから、これから先だれにどう言われようとも、「それでも、自分は『持っているんだよ』。けっして『ない』わけじゃない」と思うことにする。

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