「愛」があってこそ好転する

過去、自分がカウンセリングを受けたことは何度もあるけど、「カウンセラーの立場」になるのはまったくはじめてだった。で、つくづく思ったけど、「だれかにやってもらう」のと「自分がやる」のとではどエラくちがうもんだね。あのさ、ものすっっっごくむずかしくてぜんっぜんできないんだけどっ?!

そう、ちょうどプロのピアニストの演奏聴いて、わあいいなあ、あんなに弾けるようになりたい!って思って、バイエルやりはじめて、え?なんで?ピアノ弾くってこんなにむずかしいのっ?!ってな感じだなあ。

カウンセリング技術の要として、「傾聴」について教えていただき、じっさいにペアワークを何度も実習した。「傾聴」もやはり「解決しない、指示しない、アドバイスしない」が大原則。カウンセラー役は、基本的にまず「うなずきとあいづち」のみしかやらない。

というようなことは、知識としては知っていた。まあ、実生活でもなるべくよく聴くことを心掛けてはいた。でも、それってけっこうしんどい。疲れる。なので、長年「傾聴=すっげえ疲れる」ってイメージを持っていた。



けれども、そもそもワシには「前提がなにもなかった」のが原因だとわかった。
カウンセリングの前提とはなにか?というと、

●「そうなってほしいな」「この方にとっての最善が起こりますように」と願う心
●「そのために私は支え役になる」「私を使ってくだい」と貢献する心
●「その方のプロセス(過程)に合わせて共に行こう」と寄り添う心

つまり「」なのだ。

……そりゃ、ワシに「愛」なんてみじんもなかったから、はは、しんどいだけだったんだ。

相手のひとを目の前にして、どう話を聞けばいいのか?
この人の奥には、すばらしい知恵と輝きがあるはずだ。素敵な人だなあ」と思いながら話を聞く。それが「傾聴」だと教えられた。



いやあ、まいった。カウンセリングとは、結局のところ「相談者をいかに愛せるか」ってことだ。

さらに、「聞いているその瞬間、いかに『自分』をなくせるか。『自分』がなくなるほどプロセスはスムーズに流れる」という。「無我」が必要なのだ。

で、できない……
ペアワークで、相手のヒトの話になんとかうなずき、あいづちを打っても、話の流れを追うのがせいいっぱいで、「愛」なんてとっつも出てこない。「自分」なんてなくならない。ただ必死でフンフン言ってるだけ。

そもそもカウンセリングのおおまかな目的は、相談者が「スッキリしてやる気になる」ことなのだ。自発的意欲がわいて行動したくなる変化が生じてはじめて、いいカウンセリングだったといえる。



話をしたあとで、相談者がなにかしら好転しないといけないのに、まあもうそんなモンにはほど遠くてね。一所懸命聞いたつもりでも、相手のヒトが話し終わってから「なにも変わらない」もんね。「それで?」みたいな空気になる。あくまでもワシがカウンセラー役のときね。

あー、なんかヘタクソなピアノ弾いてるみたいだ。とりあえず必死で音並べました。最後までたどり着きました。それで? それでなんなん? そんなん聞かされてシンボウしてただけやけど?っちゅー感じ。

「音楽的」というコトバは使い方がむずかしいが、いちおう使わせてもらうと、いくら音楽的に弾きたい気もちはあっても、それを表現するための技術がないと、聴いているヒトたちは感動できないよね。

なんかそういうのとすごく似ている。しかも、ピアノとおなじくリアルタイムにどんどん処理しないといけないことが多すぎる。適切なあいづち、うなづき。相手の表情、しぐさの観察。場合によっては質問もする。相手が「自分の心の中を発見」するための質問だ。



あるヒトとペアワークをやったあと、ワシに対して「あの話をしているとき、こんなふうな質問をして欲しかった」と言われて虚を突かれた。えっ?! 質問しないと話せないのっ?!

いやいや、そういうヒトもきっとたくさんいるんだなあとすごく勉強になった。「どうぞ、なんでも自由に話してください」と言われても、自分からすべてを話せないものなんだなあ。言いたいけど言えないことを、カウンセラー役が察して、それを尋ねてあげないといけない。

はああ、ワシって自分がなんでもかんでもペラペラしゃべるもんだから、そういうヒトたちの気もちははじめて知ったなあ。
でも、そうしたヒトたちに細やかな愛を注ぐのがカウンセラーなんだよね。

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