ようやく手にした「しあわせ」、つまりいますでに「しあわせの渦中」なんだよ

もしかりに50代60代のヒトがカウンセリングを受けたいと思ったら、どのぐらいのトシのカウンセラーを選ぶだろうか? 20代のカウンセラーと50代のカウンセラーがいたら、おそらく同年代である50代カウンセラーを選ぶのが順当だろう。

ワシはもうじき58才になる。まあたいした人生経験積んでいないが、それでも20代のヒトと話をするときは、う~ん、ワシの気もちをどのぐらいまでわかってもらえるかな?とためらってしまう。カウンセリングの自主トレーニングで、たまたまずっと20代のヒトとばかりとやっている。そうするとワシが相談者役になったとき、どういうテーマを持ち出そうか?とちょっと悩む。

本丸のテーマはなかなか出せるものじゃないね。たとえばいまピアノを習っていることにしても、事実としては「13才のときにやめたピアノをその44年後に再開した」わけなのだが、ソレをワシが話したとき、カウンセラー役のヒトが「そうなんですね」などとあいづちを打ってくれたとしたら悩ましいよなあ。

それは20代のヒトにわかるものなのだろうか?



少なくともワシが20代だったときは、50代のヒトの気もちはまったくわからなかった。関心もなかった。けれどもいま還暦近くになってきたので、やはり五十六十のヒトの気もちはある程度わかるような気がする。

とはいっても、自主トレは若い受講生のヒトともやらないといけない。昨日Aさんと自主トレをした際、ワシが相談者役になったときは、まあ軽めのテーマでもあるので「働くのがキラいだ」という悩みを聴いてもらった。

しかし、悩みというのは根っこの部分ではけっこう深いところにつながっているから、表面的には軽そうに見えてもあなどれないね。じっさいワシ自身、なんでここまで働くのがイヤなんだろう?と長年首をひねってきた。ホント自分でわからないから相談したくなるんだよなあ。

Aさんはとてもよく傾聴してくれたので、ワシは存分に自分の思いのタケをブチまけたけど、Aさん自身はどうすればいいのだろう?と困っていた。いまの段階では、カウンセラー役のヒトが「防衛ビリーフ」という思い込みを見つけることが課題になっているけれども、Aさんはその「防衛ビリーフ」の見当がつかなくてお悩みのようだった。



「防衛ビリーフ」というのは、たとえば「いいヒトでないと嫌われる」といった思い込みのことだ。本人にとっては、あまりにも当たり前のことなので意識することができない。しかしカウンセリングを受けることによって、「いいヒトでないと嫌われる」というのは本当のことなのだろうか?とはじめて疑うことができる。

「べつにいいヒトを演じていなくても、そのまま素の自分でいいんじゃないか」とか、「がんばっていいヒトをやっても、それでも嫌われることもあるなあ」とか、「そもそも他人の好き嫌いを、自分がコントロールできないなあ」とか、そういったさまざまな見方に自力で気づけるようになる。

自主トレの課題のひとつとして、その防衛ビリーフを見つけるということがあるので、かわいそうにAさんは見つけられなくて困っていたなあ。

いやあ、ワシもようわからんねん。なんでここまで働くのがキラいなのかわからんのでとりあえず出してみたけど、自分でも防衛ビリーフに気づけなかったね。だいたい、すんません、40年も悩んでることを出したらあかんかったかな。はあ、やっぱり20代のAさんには不向きなテーマやったかな。



そこでまた結局「年代」ということになるんだが、生きてきた長さが30年もちがうとそりゃキビしいかもしれんね。受講生のなかにはほかに50代のヒトもいた。まだ自主トレを頼んでいないけれども、もしやるとしたら50代のヒトの方が話しやすいかもね。時代背景もおんなじだしね。

とはいえ、いちおうトレーニングとしていろんな相談者さんを経験することも重要だ。なのでお互い年代がちがっていてもあえて訓練したほうがよろしい。

そもそもワシいま、どんな悩みを抱えてんねん?

●働くのが大キラいだ。
●時間がなくてつねにぱっつんぱっつんである。
●某芸術大学への学費1000万円がちっとも貯まらない。
●カウンセリングの勉強時間を確保できない。スキマ時間はすべてピアノの練習で消えてしまう。
●床可視率が20%を切っている。
●汚部屋をなんとかしないと調律に来てもらえない。
●暗譜ができない。
●もの忘れがひどすぎてパート先でいつも叱られる。
●右手のオクターブが横からしか届かない。
●バッハ優先で、いっつもソナチネが手薄になる。
●高速でいつも大名行列を作っちまう。
●WordPressの更新を1回もしたことがない。

こんなもんだね。そんなにたいした悩みはおまへん。



そういえば、ピアノを再開する以前は、ずっとモヤモヤ悩んでいたよ。自分のやりたいことがわからなくて、あれかなーこれかなーって手探り状態だったよ。それがさ、結局のところピアノ弾きたかったってとこへポンとたどり着いたらさ、ずっぱり悩みがなくなったんだよな。

べつにさ、某芸大だってどっちでもいいんだよ。だってそれは本質的なことじゃないから。いまのピアノの先生に習っているだけでじゅうぶんでしょ? スキあらばピアノ弾いちまうってことは、まあホント好きだからなんだなあ。カウンセリングの勉強が二の次になるのは、ピアノの魅力には及ばないからだよね。

ふふ、ピアノの練習は楽しいよ。うまく弾けないけどさ、でも楽しい。おもしろい。毎日ああしてこうして工夫して、ちょっとでもきれいな音を出せるように考えるのはすごくおもしろい。

だったらそれでいいかもしれない。
もうすでにしあわせだからいまのままでいいじゃないか。

というのが、58才にしてようやくたどり着いた境地なんだよ。

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