コドモを捨ててもシレッとしていたあっぱれなばあちゃん

ワシ自身はいまから10年前、48才から物忘れがヒドくなった。もっとも記憶に残らないのはパート先での仕事だった。どこに勤めても「ぜんぜん仕事が覚えられない」とあきれられる。

そのことに対してずいぶん悩んできた。去年はとうとうクビになった。いまのパート先も勤めはじめてからもうじき5ヵ月になるのに、まだかなり多くの仕事を覚えられなくて周囲が困っている。ミスも頻発している。

しかしワシはもう、物忘れを気にしないことに決めた。「忘れてしまうこと」は「自分にとって重要じゃないことだ」と気がついたからだ。

ワシの脳ミソは、パートの仕事を覚えてくれない。レジの釣り銭用意を50円玉だけ平気で入れ忘れる。お客さんが来たのか来ていないのかまったく関心がない。晩メシのオカズを電子レンジに入れたらそのあと食べることを忘れてしまう。



けれども音階は覚えている。曲の出だしの弾き方もだいじょうぶだ。ハノンとツェルニーはいま練習している曲がどの曲かあやふやになるが、バッハ:シンフォニアとソナチネだけはどれをやっているか忘れない。

脳ミソは、晩メシよりシンフォニアのほうが大事なようだ。もちろん仕事より音階のほうが重要なんだな。

つまり脳ミソっちゅーのは「生きていくためには規則正しく食事をしたほうがいい」とか「生活費を稼ぐための仕事なんだから、ちゃんと仕事を覚えたほうがいい」とか、そういう理屈はいっさい通用しない。

脳ミソは「好きか嫌いか」にしか反応しないらしい。しかし、そういう脳ミソの反応だけにしたがって生きて行こうかなと、ふと思ったのだ。



ワシの母ちゃんの実母(=ワシのばあちゃん)は、母ちゃんが6才のとき家を出て行った。自分のコドモである母ちゃんに関心はなかったようだ。

ワシは長いあいだ、このばあちゃんの気もちがよくわからなかったけれども、最近、ああそういうお母さんってのもありなんだなあとつくづく思う。

なにもコドモを産んだ女性が全員「コドモをずっと育てたい」と思うわけではない。ばあちゃんのように、成り行きでしかたなく6年子育てしてみたけど、いやべつにもういいか、好きなオトコができたし、連れて行くのもアレだし、ま、いいかってコドモをポロッと置き去りにするヒトもいるんだ。そうしたかっただけだ。

たぶん猫でも6年飼ったらポイッと捨てるのはけっこう勇気が必要かもしれない。でもばあちゃんはコドモをポイッとできた。これはなかなかどうしてあっぱれじゃないか!

その気にならなかったら、べつにコドモを捨ててもかまわない。ワシはいま、それでいいと思っている。ばあちゃんの生きかたを肯定することになるからね。

だから、ばあちゃんは最強のお手本を示してくれたと思っているよ。コドモ捨ててもいいんだからね。仕事なんか堂々と覚えなくたっていいんだ。なんぼでもまちごうてええねん。



▼4日前に来た妹のメールより

>もうこんな危なっかしい頭の状態でいまの仕事を続けることは、危険だと思います。
今年度で退職し、別の仕事をしようとほぼ決めています。
やるせない思いで一杯ですが、引き際を決めるのは自分だけ。

うんうん、妹は責任感がとても強いから、そう思うのは当たり前かもしれない。「仕事、だいたい3〜4割間違えている」と言っていたよね。このミスの割合をどう捉えるか、それはもちろん妹自身の判断だよね。

だから、これはあくまでもワシの感覚でしかないのだが、「6~7割はデキているからそれでもいいんじゃない?」って思った。



きっと妹にしたら「いやいや、この仕事は100%できないとダメなんだよ。ほんのわずかなミスも許されないんだよ」って言いたくなるにちがいない。その気もちはよくわかるよ。

でも、それこそ理屈じゃないんだけれども、なんとなくね、「ミスが多い→やめるべき」というのだけが正解とは思えなくてね。

だって、コドモ捨ててもいいんだもん。なんとかなるんだもん。

妹もね、そんなにね、自分にキビしくしなくていいと思うんだよ。妹にしかできない技量や采配というのがぜったいあるはずだから。

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