なにか普通じゃない、どこかへ流されていくような気分

ワシが妹のことを「あれ、だいじょうぶかな? ちょっとヘンだな?」と感じたのは、2012年の夏だった。いまから8年ほど前なので、ワシは50才、妹は46才のときだ。

その当時も、妹はワシの居住地よりかなり遠距離のところに住んでいた。しかし突然妹から電話があり「こっちの地方に引っ越してきて、自分と同じ会社で働いて欲しい。おねえに向いている仕事だから」と頼まれた。

こういう依頼はそのときが2度目で、1度目はワシが30才ぐらいのときかな、やはり急に電話がかかってきて「ある幼稚園で働いて欲しい。とてもいい幼稚園だから」と言われた。

妹から直接電話があるのは数年に1度あるかないかで、たいていかなり突飛な話題になるので仰天するのだが、その8年前のとき、妹はどうしてもそうして欲しかったらしく、急遽ワシのウチに泊まりがけで頼みに来た。



わざわざ来てくれて、とても熱心に転居と転職を迫られたけれども、ワシはどうしてもその気になれず首を縦に振れなかった。しかし妹も納得してくれない。結局たまたまその日、妹の知り合いのヒトから妹に電話があって、そのヒトが「お姉さんがイヤならしかたがないでしょう」ととりなしてくれて妹はあきらめることになった。

妹がそんなふうに希望するのは自由だなあと、むかしもいまも思うけれども、ちょっと違和感を覚えた。その日は久しぶりに会ったのでいろいろと話し込んだが、ほかにも奇妙な思い込みや記憶ちがいが見られた。

ワシ自身は、ちょうどそのときより2年前から、自分の物忘れに悩んでいたので、だからこそ、あれ?妹もだいじょうぶかな?と少し心配になった。



▼3日前に来た妹のメールより

>わたしの物忘れ。
おねえが一番早く気づいたひとですね。
ブログ読んでぎょっとしました。

う~ん、これもなかなか奥深いんだよねえ。
そもそも、ワシはやはり妹に気を使って、これまで一度も妹に対して「物忘れがあるみたいだよ」と話したことがなかった。メールにも書かなかった。

ただ、このブログでだけ、妹の物忘れに少し触れたことがある。自分でもいつ書いたのか、それこそ忘れていたのでこのブログを検索して見つけた。今年3月21日の記事「『異変』があっても夢はあきらめない」だった。

その記事に「けどね、それこそ数年前ぐらいに、妹とハナシをしていて、あれ?アノことはもう忘れているなあって思うのは何度かあった。その忘れっぷりにちょっとびっくりした。ふうん、けっこう大きなエピソードも『ない』ことになってる。」などと書いた。

ということは、妹は「3月21日のブログの内容」は記憶しているのだ。かつ、ワシも「妹のもの忘れについて、一度だけブログに書いた」ということは記憶している。

なるほど、おたがいちゃんと覚えていることがあるのも事実じゃないか!



しかし、妹もワシと同じように職場では相当苦労しているようだ。妹はワシとちがって専門的な仕事を長年やっている。それでも物忘れのせいでかなり支障をきたしているらしい。

>職場でのミスも信じられない頻度で(だいたい3〜4割間違えている)スタッフがものすごく腹を立ててしまい、まともな会話もできません。業務上必要最低限の言葉をむりやり交わす感じ。声のトーンが低すぎ。

せっかく高度なスキルを身に付けてきたというのに。ワシなんか最低賃金のパートを転々としているにすぎない。それでも、職場で周囲からあきれられてかなわんのに、妹はそれどころじゃないんだろうなあ。

>よく言われる話ですが、「朝ごはんの内容を忘れる」のではなく「朝ごはんを食べたかどうか忘れる」です。わたしは朝シャワーを浴びますが、時々サボります。出勤すると「今朝シャワーを浴びたかどうか」がわからなくなっています。

まあそれはそうだろな。すでにワシはシャワー済の日をGoogleカレンダーに入力している。まったく覚えていられないからね。

>なにか普通じゃない、どこかへ流されていくような気分に耐えられず、若年性認知症のための検査を受けようと思い調べています。

ああ!ワシもまさにその「なにか普通じゃない、どこかへ流されていくような気分」がつらかった! どんどん記憶を失っていくと寂寞とした思いに襲われるんだよね。自分が自分でなくなっていく恐怖なんだよ。

※妹のメールについては、まだ明日につづく。

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