家系のエネルギー|「いのち」はなくならない

今日と明日、パートを休ませてもらうことにしておいた。昨日あまりに体調が悪くて午後から早退したが、先輩パートさんが「もっとシフトを増やしたい」と言っていたので、今日明日は私の代わりに出てもらう。先輩さん、「ダンナの会社、給料出なくなりそう」と逼迫した様子だった。

私はまだすさまじい睡魔におそわれていて、昨夜から12時間ほど寝ていた。そのあとかろうじて1時間起きていたが、また眠りに落ちる。寝ているといっても夢ばかり見るので気が休まらない。疲れが取れない。食欲も失せる。「無意識」の暴動が起きているみたいだ。

大塚あやこさんの個人セッションで、母方家系で「失われた女性たち」(6名)と私との関係性を取り上げられた。たぶん「ファミリー・コンステレーション」という手法に関連するセラピーだと思われる。

「コンステレーション」とは直訳すると「星座」で、本来「星の位置」は各々なんの関係もないのだが、それを観る者たちが「星座」として関連づけて物語をつくる。それと同じように、家族のなかでどのような力動がはたらいているのか、数代前にさかのぼって読み解く。



つまり、私がいま抱えている問題は「個人の問題」や「親子間の問題」ではなく、「家系の問題」ではないか?という見方をするのだ。もう「家系」レベルの問題は、無意識下で影響をおよぼしているので、本人にはまずわからない。まあ「無意識」そのものが「本人に認識できないもの」だから当たり前か。

たとえば、あるクライアントさんは「好きなことがみつからない」という悩みを抱えていたが、そのセッションをしていたカウンセラーさんは「生まれなかった兄弟がいる」という気配を感じたそうだ。クライアントに尋ねてみると、やはり流産で生まれてこなかったお兄さんがいたらしい。

そして「お兄さんが生まれてこれなかったのに、私だけ好きなことや楽しいことに夢中になっていてはいけない。私は楽しんではいけない」と、無意識に「お兄さんの喪」に服していたとわかった。

けれども、そのお兄さんからのメッセージに思いを馳せると、じつはお兄さんは「生まれることが『できなかった』のではなく、自分の意志で肉体を持つことを選ばず、家族みんなを見守りたかった」とわかり、クライアントが「楽しんではいけない」という束縛から自由になれたのだ。



私は、どうも「過去のひとたち」に引っ張られる傾向がある。前回のピアノレッスンで、モーツァルトのアーティキュレーションのお話をうかがったあと、なぜかその当時のご先祖さんはどうしていたのだろう?と調べて、「天明の大飢饉」をどうやって生き延びたのか? どれほど多くの家族が亡くなったのだろうか? おそらく生まれた子の間引きもあっただろうし、姥捨てもあっただろうと悄然としていた。

その江戸時代から、やはり「家族を思う愛や苦しみ」というのは連綿と受け継がれてきたのだろう。それが良くも悪くも「家系のエネルギー」なんだと思う。「いのち」はずっとある。なくならない。

それにしても、「家系」というステージまで拡大して問題をとらえてみると、格段に視点が変わる。自分が悪かったとか、親がどうのこうのとか、そういうレベルを超越して背負わされた「なにか」があると考えられると、だれも責めなくてよくなる。じっさいだれかが「良い」「悪い」なんてないんだ。

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