とりあえず逃げている

午後1時に目が覚めて、ああせめてトイレに行かないと膀胱炎になりそうだと思いながらも、だるさマックスで起きられず、それから1時間半後にようやくフトンから抜け出す。なにか食べないとなあと思いつつ、またコーヒーしか飲めない。いつも砂糖をどっさり入れるので、空腹感がなくなってよけいに食べる気が失せる。

ぼーっとしていたら、どこかからピアノの音が聞こえてくる。数週間ほどまえから同じマンションでピアノを練習するヒトが増えた。推定2人は増加した。さいしょのころは、ああ楽しいなーなんてノンキに思っていたけど、いやみなさんタイヘンなのだ。

私が住んでいるマンションは、某芸大の女子大生専用マンションで、社会人は私を含めてふたりしかいない。ほかの入居者はみんな某芸大の学生だ。去年大家さんが話していたが「このごろピアノをやっている学生は、大学の練習室で練習するから自宅で弾くヒトは少ないんですよ」

しかし、大学はずっと立ち入り禁止になっているらしい。私はテレビを見ないしネットニュースも見ないからさっぱりわからなかったが、いまだれもどこへも行けなくなっているようだ。そうか、だからピアノの音が聞こえるようになったんだ。ウチでしか練習できないんだね。



そういえば、他人が練習している様子なんて見たことも聞いたこともなかったが、いまそのふたりのヒトたちの練習を聞いているとなかなか興味深い。ひとりは、音階全調をダーッとこなしてから、某ソナタを何度も通し練習する。もうひとりは、ハノンはぜんぜんやらないで、某難曲を丹念に部分練習している。じわじわ緻密に練習しているのがよくわかる。

いや、そのふたりは通学もできないし、演奏の機会もなくなっているし、レッスンはどうしてる?とかホントたいへんなんだと思うけど、ピアノの音が聞こえるのはやっぱりうれしいもので、私もトーストをムリヤリ食べてから練習しはじめた。

ま、私はダーッとなんてまだまだ弾けない。そもそもピアノの先生は、ダダダダーッと弾くことをまったく求めていなくて、ひたすら「うつくしい音色でいかにレガートで奏でるか」にフォーカスされている。そのためには、鍵盤の上をまるで這うように吸い付くように指を移動させないといけない。

「離鍵のタイミング」もむずかしい。指をパッと離すと音がプツッと途切れる。そうではなく、鍵盤が上がってくる動きを感知して、それに合わせてじんわり指を離すようにすると音はブツ切りにならない。音階もアルペジオもおなじで、なんかもう離鍵のことばかり考えている。そんなことだけ考えていられるのは、恵まれている証拠だねえ。



「カウンセリングとは、『闇』に『光』を当てないといけない」と教わった。カウンセラー養成講座でそう聞いて、ああそうか、ふんふんなんてうなずいていたけど、いざ自分の「闇」に気がついたら怖気づいてしまった。

だからかなあ? カウンセリングの勉強をする気がぜんぜんなかったもんね。以前はあんなに興味があったのに、講座がはじまったら勉強するのがとてもおっくうになってしまった。受講生同士でセッション練習するのもひどく疲れる。それは結局、自分の「闇」に触れることになるから避けていたいんだろう。

カウンセリングの目的は、その「闇」に「光」を当てて、最終的には「闇」を「浄化」させることだ。

ということは理屈ではよくわかっているけど、いまは「闇」を見たくなくて、手っ取り早く「うつくしさ」に向かっていたい。なので、またもピアノの練習だけで一日が終わってしまった。

連続して弾いていないからたいした練習はできていないのだが、こうしたらきれいかな? こっちのほうがいいか? 1音目をちょっとにじませて2音目をごく軽く弾くと浮遊感がでるなあ、ココだけバスの進行を響かせようか、まあそんなことだけにかまけているほうが安らげるから、つい。

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