「音出しOKマンション」の意外なデメリット

カウンセラー養成講座の課題として、受講生同士で自主トレーニングをやらないといけない。適宜連絡を取り合って、レンタルルームに数人集まってやったり、遠方のヒトだったらZoomでやったりする。

1セッションを1時間やりましょうとか言ってはじめるけど、だいたい90分ぐらいになってしまう。話しているほうも聴いているほうもあっという間。1回目カウンセラー役をしたら、2回目は相談者役に交代してトレーニングする。1セッション終わったら、相談者役のヒトがカウンセラー役のヒトに感想や改善点などを伝える。

相談者になるときはちょっと気がラクだ。それに、自分が話すことをすべて肯定して傾聴してもらえるので、すなおにうれしい。

けれども、自分が相談者になってみるとよくわかるのだが、カウンセラー役が本当にちゃんと聴いてくれているかどうか、これはもうかなり敏感にわかるものだ。いくらカウンセラー役が「そうなんですねー」と言ってくれても、いや待て、「そうなんだ」とホントに思ってないのにいま「そうなんですねー」って言ったよねっ?!などと瞬時に反応してしまう。

この「わかってもらえていない」感というのはすごく強い感情だ。日常生活では「わかってもらえない」のがふつうで、みんな「仕事用モード」でガマンして生きているわけだけど、それをずっとやっていたら本当にストレス溜まりまくりだな。



で、いま自主トレのとき「わかってもらえていない」がたまに噴出してきたとしても、べつにそのカウンセラー役さんが悪いのでもなんでもなくて、ただ単に「練習不足」なだけだ。先日、すでに1年間トレーニングを経験しているヒトにカウンセラー役をやってもらったが、ものすごくよく聴いてくれて驚いた。私の気もちを本当にわかってもらえている感じがしっかり伝わってくる。そして、私自身に自然と気づきが湧いてくる。

そのヒトはセッションのときになると、グッと一瞬で傾聴モードに入ってしまった。すごいなあと感心して、セッションのあとに私が「いっぺんにカウンセラーに変身できるんですね」と言ったら、「え?そうですか。それはやっぱり、去年ずっとトレーニングしていたからだと思いますよ」という。

それでふたたび思い出したのだが、大塚あやこさんがつねづね言われている「カウンセリングは『質より量』」というお話。練習しないとー、ちっともうまくならないー、当たり前ー。

だのに、練習といえばピアノしかやっていない。ウチの環境がよくないんだよ。いまのところ推定3人がマンションのあちこちでピアノ練習しているから、聞こえてきたらついつい弾きたくなるよね。今朝もまだ寝ていたのに、10時になったら音階全調おねーさんがダダダーッとおっぱじめたから目が覚めちゃったよ。とりあえずハノンの移調練習で地味に対抗してみる。

べつにピアノにかぎらず、何の音を出してもOKなので、YouTubeもCDも大音量で聴いている。ああ、いいアンプとスピーカーが欲しいなあ。ここのマンションに住んでるかぎり、カウンセリングの練習はできそうもない。って、それは言い訳か。

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