「いま働きたくない理由」は「過去」にあった

昨日の話の続きでもある。

先月、カウンセリングのトレーニングとして、私が相談者役になったとき、さんざん「働くのがイヤだ」とグチをこぼしたのだが、それを長い時間ひたむきに傾聴してもらっていたら、もうひとつの「思い」が降ってきた。

あれ? 私って仕事に対して過剰反応しすぎているかな?

ふとそう思った。少しぐらいガマンできそうなものでも、ハナから「ぜったいイヤ!」と決めつけすぎているかもしれない。だいたい世間のふつうのヒトたちは、イヤイヤながらでもちゃんと働いている。何年も何十年も同じ会社に勤めているヒトもおおぜいいる。

妹だって、男と勤務先はめまぐるしく変わっているけど、職種は一貫して同じだ。どんなにイジめられても欠勤なんかしたことない。


むかし私もOLをしていたときはわりあいまじめに働いていた。高校出るとき、親が選んだ会社なんだけど、まあその時分は親が就職先決めるのも当たり前か。でも、その仕事はすごくイヤだった。ずーっとイヤだった。

べつにイヤならイヤでかまわないのだが、問題は「あまりにイヤだから、『この仕事は楽しい』と自分をゴマかしてしまったこと」なのだ。これ、心理学を勉強しているいまだからよくわかるけど、人間ってあまりにもイヤなことに直面すると「なかったことにする」「なにも感じないようにマヒさせる」「楽しいことだとムリヤリ思い込む」のだ。

そうやって、とりあえず「その場しのぎ」する。「痛み止めの注射」みたいなもんだね。でも「見たくないからフタ」しただけ。フタの下にはずっと「ホントはイヤ」という感情がうごめいている。

「フタした感情」というのは、いずれ「問題」としてあらわれてくる。急になにもする気がなくなる、病気になる、事故に遭う、家族に問題が生じる……。私の場合は、まず耳が聞こえなくなった。つまり「ヒトの言うことなんかなにも聞きたくない」ってホンネが噴出したのだ。

そのあとはよくあるパターンだけど、うつ病と診断されて、ああもう会社行きたくないよーと気がついて退職した。


で、こないだのトレーニングのときにわかったけど、まあむかしガマンしすぎたんだなあ。あまりにもイヤな気もちを押し殺してきたもんだから、「仕事→ものすごくイヤッ!」って瞬間的に反応してるみたいだ。むかしうっかり「楽しい」なんてカン違いしたのをまるで復讐するかのようだ。

あらためてよくわかったが、「感情=本来の自分」ってとてつもなくパワフルだねえ。どれほど「殺して」みても「生き返る」ね。よみがえってグワーッて襲いかかってくる。よく言われるように、「顕在意識:潜在意識」=「5対95」で、いくらアタマ(顕在意識)でがんばってみても、95の感情(潜在意識)にはヤラれてしまう。

そんなことを考えていたら、カウンセラー役をしているヒトが静かに「もしかしたら、アレルギー反応みたいなものかもしれませんか?」と言ってくれた。

ああたしかに! そうかもしれない。アレルギーね、うまいこと言うねえ。ホントそんな感じだ。だったら、もうちょっとくわしく「検査」してみようかな? いったい私は「仕事の何にアレルギーを起こしているのか?」、そこらへんを探ってみるのがよさそうだね。

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