「愛するということ」を深く考える

妹からの連絡がふっつりとだえた。どうしているのかな? でも彼女のことだから、けなげに次の職場を探しているのかな、きっとそうだろう、そこは信頼しようと思っている。

このブログの読者さんからメッセージをいただいて、そのなかに「妹を助けようなんて思うこと自体がおこがましいですよ」と書かれていて、はい、それはそのとおりだと前々から私も思っていたけど、ちゃんと言ってもらえていっそうハッとした。ありがとうございます。

「だれかを愛する」って、具体的にどういうことなんだろう?


つまりね、妹を愛するにはどうしたらいいのかな?って考えたら、それはもう、ちょうどカウンセリングと同じことかもしれない。

・「この方にとっての最善が起こりますように」と願う心
・「そのために私を使ってください」と貢献する心
・「その方のプロセスに合わせて共に行こう」と寄り添う心

この三つが「カウンセリング・マインド」で、つまり「愛するとはこういうこと」なんだよね。この三つは本当にすばらしい。

そして、カウンセラーは「解決しない、指示しない、アドバイスしない」。
さらに、「自分が相手を信頼する」「自分が相手を慈しむ」「自分が相手といて心地良さを感じる」。まず「自分から」そのようにする。

あらためて思ったけど、カウンセリングとは「愛そのもの」だね。カウンセリングの練習って「愛する練習」なんだなあ。

けれども、私が妹に示している態度ってとても「愛」とは言えない。傾聴しなきゃーって思いながらも、ついついエラそうに口出ししてしまう。妹の「鏡」役からほど遠い。


妹はまだ元カレに未練がある。そんなのを電話で聞いたりメールで読んだりしてきたけど、私はこれまでなんのことかよくわからなかった。自分がパートナー問題に無関心だから、恋愛の悩みを聞いてもさっぱりわからない。まるで子育ての悩みを聞いてるかのようにとまどっていた。

しかし、もしかして「愛すること」と「好きになること」は別のものかもしれないと気づいた。

私はうっかり、「相手のことを『愛して』いたら、相手の自由にまかせたらいいんじゃない?」などと思っていたのだが、いやあ、「好き」だったらそれはムリだよね。ふつうは「好き」レベルだよね。そんな「愛=カウンセリング・マインド」レベルにいきなりなれないよね。

私、猛烈に想像力をたくましくしてみたが、私もだれかを「好き」になれても「愛」は非常にむずかしい。なぜなら、相手が「最善→別れる」という答えを出したなら、別れることにも同意しないといけないから。そんなときに「あなたがしあわせになれるなら、それでうれしい」と心の底から思えるかってものすごく困難だ。


それって要するに「私の存在は、あなたになにひとつ関係ないけど、それでもしあわせを祈っています」ということになるが、ふつうはなかなかそこまで到達できないんじゃないかなあ。

でも、カウンセラーN先生はときどきこう話している。
「旦那さんが浮気して、それが本気になって『離婚したい』と言い出したとき、もう奥さんは悩みに悩むわけですが、本当に旦那さんのことを愛していたら『あなたがしあわせになるなら、離婚します』という境地になるかたもおられます。そうなったとき、旦那さんが奥さんの深い愛に気づいて戻ってくる場合もあります。または、離婚したとしても、その女性は大きく成長を遂げているので、つぎにはもっと自分にふさわしい男性に出会えたりします」

このお話、何度聞いてもいいなあと思っていたのだが、う~ん、パートナーを考えたことのない私が安易に感心してはいけなかった。こんなのはもう「悟り」だもんね。

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