58才でむかえた「思春期」、ちょっと余裕かましている

「睡眠」はココロの深い部分を反映しているのではないか?と勝手に思っている。過去を振り返ってみると、14才ぐらいから日中の眠気がひどくなった。ピアノをやめたのが13才の冬で、そのあと「これから自分はどうしたらいいのだろう?」とよくわからなくなってしまった。(と、いまになったらそうだったと思い当たる。)

高校を出たあとは事務や雑用の仕事をしていたが、どうも合わない。眠気もつづいていてときどきトイレで居眠りしていた。休みの日はほぼ一日寝ている。その事務の仕事をやめたあと、引きこもりを数年やっていたけど、これまた寝っぱなし。のちにパートをはじめたりやめたりしても、やっぱり眠い。

ずーっと眠いのがデフォルトなのかとあきらめていたが、2~3年前から心理学セミナーで「ライフワーク探し」をはじめたらかなり眠くなくなってきた。そして去年4月からピアノのレッスンを44年ぶりに再開したら、ピシャッと覚醒するようになった。

なんだ、ピアノ弾いてたら眠くないのかと思ったらそうでもなくて、今年4月20日に大塚あやこさんの個人セッションを受け、「家系レベルの問題を背負っている」とわかり、あまりに衝撃的なセラピーで、そのあと立ち直れなくてふたたびずーっと眠気に悩まされることになる。


いまもまだ眠い。とても疲れている。でも微熱はようやくおさまってきた。

さて、それほどに強烈なセッションの効果はめざましく、どんどん「ココロの再編成」が進んでいるようだ。いちばん大きな変化は、「家族まるごとぜんぶ、どこか遠くへ離れてしまった」ことだ。両親も親戚もご先祖さまも全員「かなり遠いところ」へ行ってしまった。

これは「いま現在離れている」からこそわかる感覚だ。ずーっと前(大塚あやこさんいわく「生まれたとき」)から、ずーっと「家系レベルの家族」が私にへばりついていたのだが、それらから離れたことがないから「離れることがどういうことなのか?」すらわからなかった。


しかし、セッションのあとしばらくしてからふと気づいた。あれ?そういえば父のことを思い出さないな。母の「3人の母(実母1、継母2)」や亡くなった叔母(空襲のとき赤ちゃんのまま死亡)のこともアタマに浮かばない。

いちばんふしぎだったのは、あんなに好きだった父が「遠く」なってしまったことだ。あれほど自分にとって大切なヒトだったのに、どういうわけか「あっさり」した思いしか感じられない。べつにふつう。いいお父さんだったといまも思うけど、尊敬とまではいかなくなった。

父とおなじように、その存在が急に「低く」なってしまったヒトたちはほかにもいる。これまでお世話になったカウンセラー先生やピアノの先生だ。このヒトたちもわりかし「ふつう」になってしまった。

まあ、その理屈はかんたんで、そもそも「先生」という立場のヒトには「親」を投影している。私のなかで「親がふつうのヒト」になったら、その投影先である「先生」も自動的に「ふつう」になっただけだ。


親離れすると、なるほどね、だれかを必要以上にあがめたりしなくなるんだね。そして、そのヒトたちに庇護されたいって思わなくなる。ほほう。

「ふつう」というのは、結局「対等」になったということだ。さぁて、つまりようやく「親離れ」の時期が来たんだねえ。すごいなあ、親から離れるって「こんな感じ」になるんだね。58才にしてやっと思春期がおとずれた。赤飯だなっ!

むかしきちんと思春期をやっていなかったから、じゃあいまからやり直そうとけっこう楽しみだ。なんとなく、もう少ししたら眠気も取れてシャンとしそうだし、カウンセリングの勉強も最低限やってみたくなってきた。心理学って即役に立つから心強い。

ずっと眠くてもピアノだけはかろうじて練習している。あんまり時間増えてないけど、弾いているときはおもしろいね。

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