「崖っぷち」に寄っていくのが流行っている?

もともと私はギリギリまでなにもできない人間で、期限が目の前に迫っていてもさっぱりやる気が出ない。いまいっちゃん困り果てているのは、カウンセラー養成講座の課題がぜんぜんできていないことだ。

そもそも課題がなんだったのかすら怪しくなってきている。ええとね、まずはなんか毎月課題図書が出ていてその感想文を書かないといけないんだよね。今回の課題図書はたしか一回さっと目を通したものの、ああ内容はぜんぶ忘れている。もちろん感想文も書けていない。

それとね、前回の講義に対する感想文も書けていない。そしてもっとも重要である「自主トレーニングの記録」をこれまた1枚も書いていない。自主トレは1ヵ月のうちにカウンセラー役を2回と相談者役を2回、最低限こなすことになっているが、たぶんその条件を満たしていなかったと思う。てか、だれとやったんだっけ?

というひどいありさまなのに、あさってがもう受講日なんだよね。で、どういうわけか予定がぱっつんぱっつんで、明日は妹の認知症外来に付き添いで行くことになっている。なので明日あさっては二日間ともパートを休みにしているんだけど、なんかいまから暗澹たる気もちになってきた。


明日の病院はちょっと遠方なので車で行くことにしている。私のウチからだと46kmの距離で、高速使うしそんなにタイヘンじゃないと思うんだけどね。だいたいピアノのレッスンが片道70kmでコレってけっこう遠いやん? でも毎週行ってるからすっかり慣れて当たり前でどうってことないんだけど、はじめて行くところが40kmちょっとあると、あれ?たどりつけるかな?と弱気になってるよ。なにせ迷うのめっちゃ得意だから。頼むで、ナビのねーちゃん。

たいせつなのはお医者さんの診断結果だというのに、私ときたらカウンセラー養成講座のことが気になって落ち着かない。講座は土曜日曜にかけて開催されるので、土曜日の早朝5時にウチを出て東京へ向かうことになっている。ふう。

まあ、ちゃんと課題を仕上げていたらここまで気が重くないはずだよね。しかし「なにかをどうしてもできない」というのはやはり理由があるはずだ。「必要なことしか起こらない」という心理学の鉄則に照らし合わせると、なにかしら必然性があって私は課題に取り組めないのだ。

なので、今回はそういう自分をまるまる認めようということで、なにひとつ課題を仕上げずに堂々と出席することにした。うむ、開き直るとかあきらめるとか、自分ってせいぜいこんなモンとかいろいろ練習できていいじゃん!


てか、明日妹に会えることはとてもうれしい。最後に会ったのは2016年3月30日で、翌日父が亡くなり献体として送り出したあと、翌々日にはもう妹とさよならした。だから4年ぶりに妹の顔を見ることになるね。

診断の結果にしても、それはやっぱり必要だからそういう結果になるのだと私は思っている。そしてなにがあっても、じつはそれは「妹の問題」なのだ。私は関係ない。妹自身が取り組むべき問題に私が介入してはいけない。

私は、まだまだ自分の無価値感を処理しきれていないから、どうかすると「妹を助けてあげられる自分」になりたくなってしまう。いやそれはまちがいだね。「だれかの役に立つことで、自分の存在価値を認められる」というのは、はぁい!癒着でぇす!共依存でぇす!とさすがによくわかってきた。

なので、明日は妹との「心理的距離感」というものを意識しながら、それでもひさしぶりに会えるということをすなおに楽しもうと思っている。

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