「私は嫌われる」というビリーフ|ビリーフリセット・リーダーズ講座 第4講 2日目

「私は嫌われる」というビリーフ(思い込み)は、あまりにも長いあいだ私にとって当然のことだった。そもそも「思い込み」であることすら気がつかなかった。

いつも苦痛だったんだけどね。たとえば根本裕幸さんのセミナーへ行っていたころも、ある瞬間「私はこの会場にいる全員に嫌われている」という思いに襲われて、冷水を浴びせられたかのように茫然となった。

心理学のセミナーだから、ペアを組んだヒトもしかたなくしゃべってくれているが、本心では私となんかひと言も話したくないはずだと思ってしまう。

「私のことを、なんの理由もなく好いてくれるヒトはいない」とかたくなに思い込んでいた。そういう大前提で「ヒトに必要とされる」ためには、「なにか役に立つこと」を遮二無二やらないといけない。


それで、自分の特色として編み出したのが「サービス労働戦略」だ。OLをやっていたころは若さもあって月間200時間サービスをめざしていた。「エサをもらえなくても芸をする犬」になりたかった。しかし10年ぐらいで燃え尽きた。で、そしたら引きこもりに転向した。

要するに「自分が傷つきたくない」のが目的だから、人前に出たら出たで「こんだけタダで働いてやってるんだから、てめえら、文句ねーだろっ!」と防御するし、それがしんどすぎるとわかったら、こんどはヒトとの関わりをすべて絶つ。一年間でヒトとの会話が合計30分という生活が数年ほどつづいた。

その後生活費をかせぐためにしぶしぶパートに行き出したが、サービス労働グセはなかなか治らないし、それがつづいて疲弊すると結局辞めてしまう。

今年3月からカウンセラー養成講座「ビリーフリセット・リーダーズ講座」で専門的な講義を受け、受講生同士でセッション練習を重ねていくうちに、ようやく「自分はどうやら『私は嫌われる』というビリーフを持っているらしい。それが原因で人間関係がうまくいかない」と気がついた。


たぶんコヤツが本丸だろうと見当をつけていたので、昨日2時間かけてセッションしてもらっても、とうとうこの「私は嫌われる」ビリーフはリセットされなかった。

そりゃねえ、半世紀以上コレで勝負してきて、いっちゃん使い慣れた道具なんだからそうかんたんに手放せない。すべてビリーフには「生き延びるために、それなりに機能してきたメリット」が存在する。

だから、たった2時間やそこらで距離を取らされてなるものかっ!という意地もあるし、ふたり(カウンセラー役とモデレーター)によってたかって世話してもらうというシチュエーションが心地よくて、もっと甘えていたいという思いも混じる。


さて講座2日目は、まず昨日の感想をひとりずつ前に出て述べた。私をセッションしてくれた受講生Mさんは「春子さんの話を聴いているうちに、これは私の手には負えないとわかり、とにかくついていこうとだけ思いました。でも、とちゅうで進まなくなってしまいました。心残りで、あとから『あそこでこう言えばよかったかな?』とかいろいろ考えました。春子さんのセッションがタイヘンすぎて、自分が相談者役をやったときのセッションはあまり思い出せません」と言う。

ああ、そんなに真剣にセッションしてくれたんだなあとありがたかった。そう、Mさんはとてもよく私の話を聴いてくれて、そして聴きながらもきれいな字でくわしいメモまで取ってくれた。私は自分自身が「聴きながらメモを取る」というマルチタスクが不可能なので感激したよ。

私はMさんに対して「セッションを受けているあいだにビリーフをリセットできなかったのですが、宿泊先のホテルで過去を思い出して涙が出たりと、さまざまな変化が生じました」と話した。たしかに変わったなあ。

とくに「行動しやすくなった」と自覚している。なぜかダラダラすることがなくなった。この変化がいつまでつづくかわからないけれども、いまのところなんとなくやる気がほどよく出ているように感じられる。


午後からは、非常に長い時間をかけて、しかも全員が参加するふしぎなセッションだった。なんという名まえのセッションなのかよく聞き取れなかったのだが、「家族レベル」で問題を解決する手法だった。

私が4月に、大塚あやこさんから個人セッションを受けたとき、「家系レベル」での大掛かりな切り離しセッションだったが、ちょうどそれとよく似た手法であり、しかも会場にいるヒトのなかから自分の家族の「代理人」を選んでセッションを進める。

セッションを受けるヒトはKさんという受講生だった。Kさんの問題はKさんひとりでは解決できないもので、Kさんの家族全員を鑑みて解決をめざす。

まず、Kさんは家族が座るイスを配置する。会場の真ん中をフィールドとして、Kさん自身がもっともしっくりくる場所にイスを置いていく。そしてKさんの家族の「代理人」となるヒトを、会場にいるヒトの中から直感で選び出す。


お父さん、お母さん、Kさん(自分自身まで代理人を選ぶ!)、そして亡くなった家族ひとり。さらにおばあさん。それからセッションの終わり近くには「ヴィジョン」(未来の自分を現す人物)。これだけのヒトたちをKさんが選んだ。

セッションの大半は、イスに座った代理人たちがあやさんの問いかけに対し、Kさんの家族として気もちを語っていく。これが本当にふしぎなことに、赤の他人であるにも関わらず、そのイスに座るとなぜか自然とその家族になりきってしまうのだ。

私もあやさんの個人セッションを受けた際、自分が、亡くなったヒトたちの場所に座ったら、まるでイタコのように自分の口から、その死んでしまったヒトたちのことばが勝手に出てきた。あの場面を思いかえすと、そうだねえ、亡くなったヒトは生きているヒトとあまり変わりがなくて、つまり「生きているか死んでいるかということに差がない」というのが実感だった。

どうしてだろうね。ヒトのエネルギーというのは生死に関係なく存在しているようだった。そして個人でもあり全体でもあるとと感じられた。


あくまでも私のおぼろげな印象にすぎないが、ヒトというのはどこかでみんなつながりあっているかのようで、だから個でも全体でもあり、生死の境もない。

今日全員が一体となっているふしぎなセッションは、合計3時間もかかった。あやさんが一瞬たりとも集中力を切らさず、おひとりですべてを司っているような立ち回りかたが本当にすごかった。そして、代理人のヒトたちの表情や口ぶりが、家族本人に成り代わっているのを間近で見て怖くもあった。

なぜこんなことが起こるのだろうか? ときおり私はその場からフッと遠く離れて見えて、そんなときは、ああ、だから芝居やオペラにみなが感動できるのかな?などとぼんやり思ったりした。

講義終了時刻までには、あやさんは全員が現世にもどれるようにはからってくれた。みんな長い夢から覚めたように、でもまるでなにもなかったかのようにあいさつを交わして、あっという間にめいめい帰路についたのだった。

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