私が「だらだら時間無制限」を異様に好きな理由

ぐずぐずだらだらするのが大好きである。なにかひとつのことをするのに、ふつうのヒトの何倍もの時間をかけてダラリンコンとのんびりやるのが性に合っている。とくに顕著なのが旅行とかで、まあ、私は「旅行」なんてあんまりしたことがなくて、だいたい「旅とか放浪」になるんだよね。

で、夏は北海道を放浪するのがいっちゃん楽しかったから、暑くなってくると、いったいぜんたいどうして、私は「いま」北海道にいないのだろう?と毎年悩んでイライラするんだよ。そういえば、前回北海道を80日間車中泊放浪したのはいつだったっけ?

ああそうか、いまから2年前のことだったんだね。2018年6月30日|北海道放浪1日目その1|自宅からフェリー乗り場まで

いやあ、まいったな。ヘタするとあれが最後の北海道になりかねない。なぜなら、うっかりピアノを再開してしまったからね。ピアノを維持しようと思ったが最後、ありゃあ毎日練習せんといかんからね。そいでもって週に一度はレッスンに行って軌道修正してもらわないと、太陽系の外に飛んでってしまうからね。


こないだ妹とLINEで話してたとき、妹ったらあの「北海道80日間放浪」の記事をぜんぶ読み直してたんだってさ。2日かかったって言ってた。ふうん。でも私は読み返さないよ。そんなことしたらなおいっそうイライラがつのりそうでさ、だからもう読まねーんだ。

しかし、そもそも山とかウロウロしているだけでしあわせだったのに、いまから10年ぐらい前かな、ややこしくなってきたんだよね。ふと魔が差したかのようにピアノを弾きたくなってしまった。結局のところ、やり残したこととしてピアノが浮上してきたんだと思う。

いや、やり残しというより、大むかしに押入れに突っ込んどいてそのままにしといて、なんか腐敗してきてヤバくなったって感じもしなくはないな。

うん、そっちのほうがぴったりする。腐ってたんだよ。ほんとクサクサしてた。44年間ずっとフテくされてた。


「自然のうつくしさを愛でる」というのは、なんかすごくラクなんだよね。そのまま山懐に抱かれていたらいいだけなのでとても安心していられる。それは、しあわせが必ず約束されているからだ。

けれども「ピアノを弾く」ということはなかなか一筋縄ではいかない。イヤらしいことに、演奏をするからには「聴き手」が必要となるからだ。なのでややこしいんだよね。うまく弾ける弾けないとか、何の曲をどう弾くとか、どーたらこーたら。

むかしよく考えたよ。どこかヨソの惑星でさ、たったひとりで暮らしているとしたらさ、その星でピアノ弾くだろうか?って。だれも聞いてくれるヒトがいないのに、それでもピアノ弾くかな? なんかアヤしい。

けれどもその惑星で、山には登ると確信している。どんな星にたったひとりで置き去りにされたとしても、私は手ごろな山を見つけて、毎日登ってそしてひなたぼっこを楽しむにちがいない。そこからの眺めだけで満足できるはずだ。

なのに、ピアノを弾きたくなったのはどうしてだろう?

それはきっと、寂しいからだろうね。山が至福のよろこびを必ず与えてくれるとわかっていたのに、それでもだれかと繋がりたくてピアノを弾くのかもしれない。


何十年ものあいだ、自分がどうして「だらだら」が好きなのか? その原因がさっぱりわからなかった。いまから2週間ほどまえ、カウンセラー養成講座の自主トレーニングで、受講生Aさんにその問題を持ち出した。

私がカウンセリングのお題を「だらだらしているのはとても良くない」ということでやりたいとAさんに伝えたら、Aさんはとたんに笑い出した。
「春子さん、それリベンジですか?」と言う。

私はすっかり忘れていたけれど、その「だらだら問題」をカウンセリングのお題にしたのは3回目だった。しかも前回2回ともAさんにカウンセリングしてもらっていた。でも忘れ果てていて「ごめんねー」とあやまる私に、Aさんが「いえいえ、私も同じテーマで何回もいろんなヒトに聴いてもらっているのでちっともかまいませんよ」と言ってくれた。

Aさんは2時間かけてたっぷり私の話に耳を傾けてくれた。そして、深堀りするために適切な質問を投げかけてくれた。そうしたらついにわかったんだよね。私がなぜ、これほどまで「だらだら」が好きなのか、その理由がとうとう判明した。


私はまず、「時間無制限」にとてもあこがれていると気づいた。「時間無制限」を切望していた。「時間無制限」にここまで惹かれるのはなぜだろう?

ズーム画面のAさんの姿がぼやけるほど、私にとって「時間無制限」とはなにを意味するんだろう?と考えつづけたとき、バチッ!!とショートした。降ってきたっ!

「時間無制限」とは、私にとって「甘えること」だった。
だれに甘えること? それはもちろん、母に対してだった。

母は年がら年中怒りつづけているヒトだった。けれどもごくまれに機嫌のいいときもあった。しかしそれはもちろん長続きしない。10分後、いや5分後3分後1分後に、その気分が怒髪天を衝くさまに豹変するのであった。

なので、ごくごくたまに母が機嫌よさそうであっても、それはせいぜい数分ほどしか持たなかった。きっと私は、赤ん坊のころから母の機嫌が急変することをわかっていてハラハラしていたんだろう。

だからこそ、いまこんなにも「時間無制限」にあこがれるのだ。時間のことを考えずにだらだらのんびりすることが、いちばんの楽しみになってしまったのだ。もともとはね、もっとずっと母に甘えていたかったんだよね。時間なんて心配せずにね、ずっと甘えていたかった。


けれどもなにか「理由がわかる」ということはすごいことだねえ。長年まったくわからなかった理由がいきなり明らかになって、その「腑に落ちた!」という感覚だけでもじゅうぶん満足できるものなんだね。そしてそれは、Aさんのひたむきさと思いやりの結果でもある。

山の中にいたら、だれかに傷つけられる恐れはないけれども一抹の寂しさはある。44年まえに押入れにブチ込んどいたピアノは腐ってきたしさ。しょうがないからピアノ弾くことにしたんだ。

でも、もしピアノをうまく弾けたら、そういうことすべてをだれかに聴いてもらえるよね。ずっと寂しかったこともね。甘えられなかったこともね。けど、そんなのを自然のうつくしさがなぐさめてくれたこともね。いろんな意味でほんとに腐ってたピアノを修復してくれたピアノの先生のこともね。

そして、本当は子どもをかわいがりたかった母のこともね。あの母とあの父の子どもが「私」なんだってこともね。

まあ、そんなのをだれかに聴いてもらいたいから、いまはピアノ弾くんだよ。

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