いまだに「高卒コンプレックス」を克服できない理由

妹とラインで話してたら、妹は自分のことを「興味の範囲が狭い」という。

妹「だって、サプリとか掃除とか洗濯とか整理とか断捨離とかぜんぜん興味ないもん」

へええ。妹にしてみたらそういうのに興味があるひとが「ふつう」のヒトらしい。と、私が勝手に解釈して「T子ちゃんにとって『ふつうの人』って、どんな人?」と訊いたら、
妹「『世間一般』に従ってて、自分が何をしたいのか考えてない人」

うわっ! ふつうじゃない妹から「ふつう」を見たらそんなんになるんかっ?! まあ、そりゃねえ、世間一般にしたがってたら、21回も引っ越しできないし、他人に家3軒も買ってあげへんわな。てか、オトコに計何億も貢がんでしょ? ふつうはっ?!


ぜんぜんふつうじゃないヒトと話をしていると、さすがの私もへきえきだ。でもさ、ふつうの50代女性が興味を持ちそうなのは「サプリとか掃除とか洗濯とか整理とか断捨離とか」ってのは当たってるんじゃないかな。

このごろほかのヒトのブログを読む時間をなかなか取れないのだが、たぶん50代女性のブログに載っていそうなネタだよね。あと、料理も。そういうのがわりかし「ふつうのおばさん」かな。

そもそも妹は「自分自身がふつうかどうかも気にしないからね〜。ふつうの定義がわたしの中にはない」らしい。

「ふつうの定義がない」ということからすぐに連想されるのは、妹が小学1年のときに「親を見限ってしまった」ことだ。そんなに小さいときに「このヒトたちは、私の親じゃない」ともう切り離してしまった。

だいたい「ふつう」とか「当たり前」というのは、親との関係のなかで形成される。ところが、妹はその関係をみずから絶ってしまったから、それで「ふつうがない」のだろう。


私はといえば、むしろ親との癒着がとても強かったので、親の価値観にいまでも支配されている。「ふつう」というのは、あくまで「親のふつう」である。

あのヒトたちにとって「大卒がふつう」だった。なので、私は「高卒はふつうじゃない。だから私はダメなんだ。いまからでも『ふつう』になりたい。よっしゃ、某芸大へ行こう!」と、まったくもって「ふつうじゃない」奇行を企ててしまうのだ。

大塚あやこさんが個人セッションのときに「いまさら学歴はいらないでしょう?」と言われたが、いや! いるっ! 欲しいっ! いまからでもくれっ! このままじゃ死んでも死に切れんっ! 冥土のみやげに学歴くれっ!

あ~あ、いまだ親離れできていなくて情けないのだが、これだけはどうしても手放せなくてねえ。とくにピアノの場合、学歴なんて音楽にはなんにも関係ない。そんなのにこだわるのは、ほんとくだらん。ヒトからの評価を欲しがってるバカだねえと、それこそ心理学を勉強しているからよくわかるんだけど、やめられない。


ただし、絶対やめられないわけでもない。てか、音楽の本質を考えてみれば、あえて行かずに自分なりのテーマを決めて、それを追求したほうがいいかもしれない。バッハが好きなんだから、バッハだけ習っていたらいいんだよ。

それでもちっともかまわないのに、でももしそうしたら、なんか人生のハードルを下げてしまうようでねえ。

それに、もしもいまココで方向転換したならば、それこそ死ぬときに絶対後悔しそうでね。「やっぱり大学行きたかったなあ。ああ、あのとき大学受験をあきらめるんじゃなかった」と思いそうでね。

だから「音楽に学歴は無用」とよくよく承知のうえで、それでも某芸大に行くつもりだ。これはどっしり安定して変わらんね。

で、ますます「ふつう」から遠ざかっていくんだよね。「ふつう」は老後の資金とか気にするだろうに、私はこれから学費1000万円を工面するつもりなんだよね。カウンセラーになるのがボツみたいだから、さあ、またなんか新しいキャンペーン考えようっと!

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