いったいいつからスネはじめたか?と記憶をたどると、あ、むかしの記憶はおぼろげに残っていて、それでいくと小学3、4年生にはもう完全にフテくされとった。だれかからやさしくされても、んなもん、いるかよっ! くそったれっ!ってそっぽ向いとった。憎たらしいガキや。
じゃ小学1、2年はというと、う~ん、やっぱりもうひねくれておったね。すなおじゃない。どうせなんでもあかんやろと早くもスネとる。楽しかった記憶がほとんどなし。小学校の担任の先生にからんで、相手にしてもらえなくてめっちゃスネとったなあ。
ほなら、幼稚園はどないやねん? う~ん、う~ん、そういえば、どいつもこいつも好かんヤツばっかりやって思とった。で、そいつらをよくブン殴っとったわ。まあ母ちゃんに殴られて育つと、気軽にホイホイそこらへんの連中をどつくもんや。幼稚園でスネてたかどうかわからんが、ま、楽しくなかった。
幼稚園まえの記憶はない。けど、幼稚園のころから母の態度が急変したとは思えないな。たぶん、赤ん坊のころからエラい目に遭ってたんだろう。どうもおかしい。もうちっとマシに扱えや。そないにこづかんとってくれや。と、ずっと感じていたんじゃないか。きっとことばを覚えるまえから。
まあ、母ちゃんはうっぷん晴らしたかったんだろね。自分が実母や継母にずーっと虐げられてきたから、いつかだれかに仕返ししたかったんだろう。そこへめんどくさい赤ん坊が出現したから、ま、いろいろあるわな。
子どものときから年がら年中言われてきたが、「おまえが悪い」とことさら威圧的に怒鳴られる。いまは心理学を勉強したから、ああ、あないにわざわざ宣言するっちゅーことは、ほんまは後ろめたいからやなとわかるが、子どもは真に受けて「そうか、自分が悪いのか」とがっくりする。
最近になってようやく「あ、私は悪くなかった」とほっとしてる。べつにまちがっていない。生まれてきたときのまんまでかまわなかった。
でも、「親を責めてはいけない。嫌ってはいけない」という気もちはいまでも強い。そしてそれは、クライアント役の受講生を見ていてもよくわかる。みんな、親のこと真正面からは決して責めない。エンプティ・チェアの練習をしていても、親のイスに向かってしゃべれないもんね。
横にいるカウンセラー役には「親がああだった、こうだった」ってぽつぽつもらすけれど、カウンセラー役のヒトが「じゃあ、それをお母さんに言ってみましょう」なんてうながしても、ちっともぜんっぜん話さないよ。そんな様子を見ると、ああ、このひともずっとなにも言えずに来たんだなあって思う。
私もそうだったが、みんなもそうで、なんかいろいろ言い訳するんだよね。親の事情とか自分の事情とかめっちゃあれこれ言うのだが、そういうのぜんぶ「思考ですね」って認定カウンセラーさんにばっさりやられる。
カウンセリングセッションの練習中、認定カウンセラーさんがモデレーターとしてついてくれていて、私はまるっきりカウンセリングができないから、しょっちゅう認定カウンセラーさんのほうを振り向いて「どうなんですか?」って顔しちゃう。
すると認定カウンセラーさんは「思考です」と断定する。私「え? 感情と思考の区別がつかないっ!」と騒ぐ。カウンセラーさん「そんなにすぐわかったら訓練してきた意味なくなります」と苦笑。
さて、いろいろ体験させてもらったから、いまは「感情」と「思考」のちがいがちょっとだけわかるような気がする。「感情」はすっごくシンプルなんだよね。大塚あやこさんが説明されていたが、「いやだ」と「ほしい」しかないらしい。
「それ、いやだー。こうしてほしいー」ってのが「感情」。
ごちゃごちゃあーだこーだ言うのは「思考」。
私、ごちゃごちゃが多すぎたわ。あれこれ考えてばかりで、親に正面切って「それいや。こうして」って言うのをずっと避けていた。あ、この「親」ってリアル親ではなくて、自分の心にいる「内面の親」ね。子どものころからずっとイメージしている「内なる親」のこと。
けれども、こないだ「ビリーフリセット・リーダーズ講座」で、父ちゃんとのエンプティ・チェアをやっていて、突如自分が怒り狂ったから、うわっ! ほんまはめちゃくそイヤやったんやっ!て気がついた。
一回風穴が空くとね、なるほど、あそこを通ればええんやなとうっすらわかる。「思考」でごまかさなくなる。「ほんまはどない? いやなんちゃう?」って自分に問えるようになる。
で、いまになってよくわかったが、なかなかね、「イヤ」を「イヤ」とすんなり認めてないね。ものすげー「思考」してごまかしてるのが大半だね。
まず、パート。ほんまはどない? いやなんちゃう? → その通り。イヤだ。すぐ辞めたい。
ピアノでオクターブが横からしか届かない → イヤだね。きっぱり認めよう。
カウンセラー役としての自主トレ → イヤ。べつにやりたくない。
働く → とことんイヤ。
けどさ、どれもこれも「イヤと言ってはいけない」と思ってた。むかし親に「イヤ」を言えなかったからだ。「イヤと言うこと」がすっごいタブーになってるんだ。でもそんなのは撤廃だ。もうオトナなんだし、てかババアなんだし。
まずは、「あ、私、ほんとはイヤなんだ」ってのをじっくり味わってみることにした。