「いやいや、あの曲はまだぜんぜん『よく聴けていない』」みたいな曲がわんさかある。「弾けない」曲じゃなくて、「聴けていない」曲ね。
で、その「よく聴けていない曲」ぜんぶについて、もどかしいのよね。なんか基準に達していない。こういうまだらで覚えている、てかほとんど覚えていないか、そんな「聴きかた」がずーっと気色わるかった。
たとえば、シューベルト全般。ピアノ曲も歌曲も好きな曲がたくさんあるのに「聴けた」気がしない。今年1月の発表会で弾いた楽興の時第4番ですら、なじみかたがまだ薄い。
でもこれって、ちゃんと理由がありましてな。それは「18才」っつーことですねん。
「18才以前」に頻回聴いた曲って丸々アタマにインストールされている。ところが「18才より後」に聴いた曲は、どんなにがんばってもエラーなんだよね。18のとき就職してからあんまり音楽を聴かなくなって、再度聞きはじめたのが30才ごろかな。
だから、たぶん30才以降に聴く曲は、もう若いころのように丸々ゴロンとアタマに入らなくなってしまった。シューベルトは40才ぐらいから聞きはじめたからもうダメっすね。楽興の時第4番は発表会のために何百回も弾いてるはずだけど、あかんわ。
どうやら私の脳ミソは「18才でなんかの臨界点」を通過したらしい。なので、これから死ぬまでずっと「18才までの貯金」で生きていくことになる。
ところが、だ。貯金けっこうあるんだよ。父ちゃんのおかげで。まずベートーベンのピアノ・ソナタは全曲。ただし、ハンマークラヴィーア第2楽章以降はなしね。おっさん、あれはムリだったみたい。あと、モーツァルトのピアノ・ソナタも全曲。ベートーベンはかなり聞かされた。交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲とか。
交響曲第6番「田園」はひどかった。小学3年だったかな、日曜日とか朝から晩までずっと田園。田園のレコードで目が覚めて、「今日もまた田園か」とユウウツになる。「田園の憂鬱」(佐藤春夫)なんて小説もあるらしいけど読みたくもない。トラウマになるほど聞かされた。
でもおっさんの本命はオペラだったから、こっちのほうがもっとぎょーさん聞かされた。とにかくずーっとオペラばっかしほぼ毎日鳴ってる。それがふつう。母ちゃんに訊いたら「新婚旅行から帰ってきた次の日から毎日レコードかけていた」そうで、ってことは、私は母ちゃんのおなかん中にいるときからずーっと聞かされている。
自分ではめったにオペラなんて聞かない。だいたいなに言ってんのかわからんじゃん。あんな外国語の歌をよくもまあ延々と聞いていられたもんだね。ただ「椿姫」とか「ラ・ボエーム」とかはごろんとインストールされているから、ちょっと聞いても音はわかるっちゃわかる。
さて、こないだピアノレッスンのとき、先生があるオペラのアリアを聴かせてくださった。ショパンのためである。そのアリアは知らなかったが、歌手はなんとなく聞き覚えがあった。そういえば、これまでにも何度か先生は歌曲を聴かせてくれた。歌を聴くと、なんかずいーっと昔に引き戻されるような気がする。
先生は、そのオペラのYouTubeURLをわざわざ送ってくれた。「勉強になりますからよく聴いておいてください」とのこと。
その20分ほどのYouTubeを毎日聞いている。部屋のなかでオペラが鳴っていると、ふへぇーっと力が抜ける。そうそう、ずっとこんなんだったってうなだれる。歌手はやっぱりあの歌手だった。両親ともその歌手「キラい」と言ってたが、こうして聴いてわかるということは、それなりにレコードをかけていたわけだ。
んで、それでね、まあオペラもいいなあって思うよ。いや、いい悪いとかじゃなくて、「当たり前」だねえって感じ。毎日そうだったって感じ。いつも聞いてたふつうの音楽。いっちゃんなじんでいる音。
好きかどうかなんて考えたこともなかったけど、毎日聞いてたからいつもそばにあった音楽だよねえ。
で、いまピアノを練習するにあたって、そりゃまあ役に立ちそうだ。「歌ってあんなもん」ってのがプリインストールされている。「あんなふうにショパン弾いてください」って言われても、なんとなくわかるような気がする。弾けないけど、イメージはOK。
そして、ピアノで「歌える」のなら、ぜひ歌ってみたいという気になる。いまから聴く曲はアタマに入らないけど、昔の貯金になってるオペラをピアノに移植するのなら、なんとかなりそうに思える。