※昨日「その5→最終回」のはずでしたが、どエラい変化に見舞われたので、もひとつ追加で、今日「その6」が「最終回」です。
さえさん(堀江さなえさん)に個人セッションしてもらったのが10月9日(金)、そして10日(土)・11日(日)が「ビリーフリセット・リーダーズ講座」(BRC)と毎日シャッフルされたらフラフラですな。
BRCでもじゅうぶん教わっていたものの、まだ私は「からだの感覚」にピンと来ていなかった。ところが、さえさんから非常に生々しく「体感の大切さ」を説いてもらったので、ようやく「そうか、からだが感情なのか。からだこそ潜在意識なのか。なるほど、『気もち』うんぬんより『体感』を観察するんだな」と腑に落ちた。
それで、今日はパート先でも「いま、からだの状態はどうなっているか?」をできるだけ意識してみた。
そしたらすぐに気がついたのは、私って「ひとが目の前にいる」だけで「からだがこわばる」。ぐっと肩に力が入り上半身が固くなる。会うひと会うひとにソレやってる。
お客さんだけじゃなくて、先輩パートさんにもそう。しかも顔を合わすたびに「こわばる」。なので、いっしょに仕事しているひとだったら、一日何十回もソレやってるとわかった。そりゃあ疲れるよね。だから、トイレ入ったときに全身から力が抜けてため息が出るんだ。
いままでずーっとソレやってたんだ。でも、自分ではまったく気づいていなかった。ほんとぜんぜんわからなかった。しかし、今日はその「硬直」に気づくたびに「深く息を吐いて、力を抜く」ってのを繰り返した。だからといって「ひと見たら→硬直」は変わらない。はああ。
そのうちに、仕事が忙しくなってきた。「硬直」をゆるめるヒマもない。そしてワケがわからなくなってきた。いつものことだが、なにをどうすればいいのかさっぱりわからなくなってきた。アタマがカーッと熱くなる。動悸がして息も荒い。
え?! これ、なんだろう?! 私のからだはどうなってるんだろう!
そのときとっさに「降って」きた。
私は、「怒って」いるんだ。うわあああーっ! 怒ってるっ! そうか、これが「怒り」か! やっと、このからだの状態が「怒り」であることに気がついた。
なんで怒ってる?! そりゃ「こんなところに居たくないっ!」って怒ってるんだと瞬時にわかった。こんなことやりたくない、こんなこと言われたくない、こんなことさせられたくない。私のからだは「仕事だからしかたがない」なんて言い訳はまったく通用しなくて、ただ猛然と「怒っていた」。
と同時に気がついたのだが、じゃあ「これまでは『怒りをガマン』していたんだ。『怒りを禁止』していた」と悟った。
そして唖然となったのは、つぎのふたつの違いである。
1.怒りをガマンしている状態
2.怒りをちゃんと感じている状態
このふたつの状態は、まったく別の次元に存在しているかのようだった。ほんと、ぜんっぜん別物。二次元と三次元ぐらいちゃうわ。「怒りをガマン」していたら「怒りを感じている」境地は想像もできない。
さらに、一度「怒りを感じる」と、私は「ずーっと怒っている」ことに気がついた。あれもこれもハラが立つ。見るもの聞くものすべてが神経を逆なでする。そこらへんウロチョロしているヤツ全員に「このクソばかやろう!」と叫びたくなった。
なるほどね。はいはい、これが「怒り」ね。ああそう、私はずーっと怒ってたんだね。
しかも、その「怒り」の体感はすでにこのあいだよくよく経験していた。それは、さえさんがエンプティチェアのワークをやっていたときだ。私が「母のイス」に座ったとき、その「怒り」はメラメラと燃え上がっていた。母を演じるのはごく自然にできて、母になり切って怒りつづけているのはとてもラクだった。
ああ、はいはい。あれは「私自身」だったんだね。怒っていたのは母じゃない。私だった。
仕事しながら、私はなんにでもハラを立てていた。どれもこれも気に食わなかった。怒りが小気味よくどんどん湧いてきた。わっはっは、これが怒りか。もっとやれ! もっと怒れ!
ってやってたら、妙に爽快な気分になってきた。すがすがしくなってきた。怒りながらずさんに仕事を切り上げた。
帰り道、へええ、怒るって気もちいいもんだねって思った。
そして、「ありのままの自分」だとか「自分にすなおに」とか、軽々しくいうなよ、おめーらっ!(だれ?)
んなもん、知らんヤツにはわからんがなっ!ってついでに怒鳴りたくなった。
けど、この状態がもし「すなお」ということだったら、これから私は、これまでとはまったく違う自分になれるのかもしれない。
さようなら、怒れなかった自分。こんにちは、新しい自分。「すなお」になったらどう生きたいの?