自分のことも他人のことも攻撃しつづけてきた人間の行き着く先

いろいろ判明してきた。

まず「1年365日怒っていた」のは、私の母ちゃんではなくて、「私本人」だったということ。こんなの、妹が見たら「そのとおりやん」って一蹴されそうだが、いやあ、本人はなあ、ぜんっぜん気がつかんかってん。この自作自演をな。

結局、私の内側に「私が勝手に創作した母」と、私は延々五十数年バトルしつづけてきたわけだが、これいったいなにをやってきたんだろう?

じつのところ「私が勝手に創作した母」とは「私自身の一部」なので、つまり「自分で自分を攻撃しつづけてきた」だけである。自己否定ってヤツをただやっていただけ。


虚しい。

まあ、そういうことなら、リアル母ってのはどんな人物だったのかわからずじまいだ。それは、母に限らず父もそうだし妹もそうだ。他人ひとりひとりも全員そうだ。どのひとに対しても「私という強力なフィルター」をかけて、歪曲して内側に取り入れてしまっているから、本当のところ、だれのことも「ありのままの姿」がどんなものか、私には一生わからない。

となると、「ひと」に限らず、感覚も同じことだ。聞こえている音も見えているかたちや色も、あくまでも「私には」そう聞こえたり見えたりしているだけだ。

「この世界は、すべて自分が創り上げている、とも言えるんですよ」というのは、根本裕幸さんから何度か聞いた。なるほどね、こういうことなんだね。


さっき「内側に取り入れている」と書いたけれども、それを裏返すと「自分の内面が、外側に反映されいてる」=「投影」となるので、ああはいはい、心理の勉強でいつもそこに落ち着くおなじみの「投影」は、結局こういうことだったんだね。

もともと「仕事」というのは「お金を得るための方策」であって、そんなに忌み嫌う必要はまったくないはずだ。40年間も悩みつづけるモンじゃないだろう。たいていのひとはウマく折り合いをつけて働いているはずだ。

どうして私だけウマくいかないのか?

ふと思うには、私は「内戦」にエネルギーを使い果たしているからかもしれない。私のアタマのなかは「架空の母(じつは自分の一部)」でいっぱいだった。その母とドンパチやることしか考えていなかったので、ついに「仕事がなんなのか?」ちゃんと向き合う余裕がなかったのだ。


数年前、私は根本裕幸さんに「ここからは『他者貢献』の世界なんですよ。でも春子さんにはむずかしい。いまのままでもいいんじゃないかな」と言われた。その理由もいまはよくわかる。これほど「自分のことしか考えられない人間」には「他者貢献」なんて不可能だ。

だから、大塚あやこさんの言うとおり、「イヤなことをガマンして『がまん料のお金』しかもらえない」のだ。あやさん(大塚あやこさん)は「そんな『がまん料のお金』ではなくて、『ありがとうのお金』をもらうためには、まず『自分がひとに差し上げる』ということをするんですよ。他者貢献なんです」と、根本裕幸さんと同じことを言われた。

根本さんはよく「『与える』ということです」と言われていたが、私はそれがどういうものかいまだよくわからない。

根本さん「『与える』ということは、同時に自分も等価のものを『受け取る』ことなんです。だから『与える』だけで完結します。
それに対して『私がこれこれのことをしてあげたから、あなたはこれこれしてくださいね』というのは『与える』ではありません。それは『取引』です。『与える』というのは、相手の反応をなにも期待しません」


この「与える」の定義はとても印象に残っている。あやさんの言われる「まず『自分がひとに差し上げる』」というのも同じ意味なんだと思う。

それで、つくづくげんなりするのだが、私はこれまでただの一度も「与える」なんてしたことがないんだよね。

ここしばらく自分の感情をウォッチしているが、すんません、他人には「怒る」ばっかりだった。自分でもあきれ果てるけど、ほんとハラ立ててばかりでねえ。「与える」だのとんでもない。イヤがらせばかりやってる。要するにだれのことも「愛せない」。愛そうとも思いつかない。

ふうん、寒々とした光景だねえ。でもきっと、根本さんにはこの景色がちゃんと見えていたんだね。草一本生えていない荒涼とした私の心が見えていた。そんなの、イチから耕して緑にするなんてタイヘンすぎるよねってかわいそうに思って、「いまのままでもいいんじゃないかな」と小さな声で付け加えてくれたんだ。


「与える」ってどうすることですか?
「他者貢献」ってどうやったらいいんですか?

それは、「ビリーフリセット・リーダーズ講座」の第1講で教わった。

「この方にとっての最善が起こりますように」と願う心
「そのために私を使ってください」と貢献する心
「その方のプロセスに合わせて共に行こう」と寄り添う心

これらが「カウンセリング・マインド」だと教えてもらったが、そうだよね、まさに「他者貢献」だよねえ。

それで、いまのパート先でももちろん「他者貢献」すればいい。おおぜいのひとたちと接する場なのだから、実践したらいいのである。「やったことがないからできない」じゃなくて、練習したらいいのだ。

どうせこれまでは、他人を「怒りのはけ口」にしてきたんだから、こんどは「他者貢献の練習台」にしたらいいだけだ。やれよ。

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