強行突破の末、先輩が見せてくれた「私の本性」|パートの先輩と大ゲンカ その7

Fさんのことばを完全に無視して、私はナビのとおりにFさん自宅めざしてクルマを走らせていた。

するとFさんは野太い声で「ええ加減にしいやっ!」と怒鳴った。私はまた恐怖を感じた。母ちゃんに逆らおうとしているときとおんなじや。ド、ド、ド、ド、という鼓動がますます怖れをあおる。

私は視線をまっすぐ前に向けたまま、Fさんにこう言った。「なにが起こるかわからないんですよ。もしなにかが起こったら、私がFさんを駐車場まで送ったこともわかってしまうんです。それに、私は店長さんにも話したんですよ。『Fさん、駅からは自分のクルマ運転して帰るって言ってますけど、ダメですよね?』って言ってあるんです」

「なに言うてんねんっ?! そんなんよりひとのウチのことに口出しせんといてやっ! 春子ちゃん、そこはな、踏み越えたらあかんとこやでっ!」


え?踏み越えたらあかんとこって、それって「境界線」のこと? 私は自分が弱みに思っていることばに虚を突かれてたじろいだ。

心理学でいう「境界線」とは、「相手の領域」と「自分の領域」のあいだにある心理的な境界のことである。私の母ちゃんがやったように「子どもが親の言うとおりにするのは当たり前。おまえは『自分』をなくせ。親の考えどおりに動くロボットになれ」と育てられると、「境界線ぜんぜんありません」がデフォルトになる。

母ちゃんが、当然のように私の全領域を支配するので、さいしょから「線」なんて存在しない。ないものはわからない。だから、私はいまだに「ひととの適切な距離」がわからないのだ。

いちばんの弱点をモロに突かれて、私はややトーンダウンした。Fさんとケンカしてどないするん? ちゃうちゃう、戦うんじゃない。


私は一呼吸おいてこう尋ねた。「そしたらね、Fさん、私がこのままFさんをウチまで送って行ったら、Fさんはどうなってしまうと思っているんですか?」

Fさんもちょっと口調をやわらげた。「そらもうわかってるよ。いろいろ言われるよ。んなもん、長いんやからわかっとるわ」「ほんとうにそうですか?」「そらそうや」

そしてFさんは「ほんなら、もうここで降りるわ。そんなんあたしの自由や」と言う。いや、あかんやろ、この場所ならまだ駐車場が近い。

私は「だったら、私にも自由があります。じゃ、こうします。私はFさんをウチの前で降ろします。そこから先はFさんの自由です。歩いて駐車場まで戻ってもかまいませんよ」とまたケンカ腰になる。ほんま、私イケズやわ。


Fさんは黙っていた。私は嫌味な自分にもうんざりして、ようFさんは反撃せえへんなと感心した。私やったら、カッとなって飛び降りるかもしれん。私やったら、そのまえにハンドルに手をかけるかもしれん。私やったら、二の腕ぐらい小突くかもしれん。

ふと思い出した。あれは私が小学3年生のときだった。同級生の女のコが気に食わなくてぶん殴ったことがある。そのコは鼻血を出して泣き出した。泣いているだけだった。周りのコらは騒然となっていたが、私はその泣いてるコを見て、なんや、仕返しせえへんねんな、おもろない、なさけないやっちゃなと気が抜けた。

黙っているFさんをチラッと横目で見て、半分は肩透かしを食らったようでもあり、半分は飛び降りたらどうしよう、せめて轢き逃げはせんとこう、轢き殺したくてもやめとこうと考えていた。そうだ、猛烈にハラを立てているのはFさんではなく私だった。私はいったいなにに怒り狂っているのだろう?

はじめて沈黙が訪れてしばらくすると、道路は大きなカーブを描いて住宅街に向けて高度を上げて行った。高級住宅街としても知られている高台へ向かう幅の広い道路だ。暗いなかでも、いくつか大きな一戸建てが目を引いた。建物が好きな私は、ああこういう家に住めるひとたちもいるんだなと一瞬思った。


ナビの画面には、もうすでにFさん自宅があらわれていた。たしかにね、駅から近いね。慣れているFさんならほんと5分で来られるね。なるほど。

自宅まですぐそこというとき、Fさんがこう言った。「わかった。あたしも反省するわ」

そして明るい声で「春子ちゃん、あそこや。あの電柱の横や。あそこがFのおうちやねん」とはしゃいで指差した。

その屈託のないFさんの声を聞いたとたん、私は堰を切ったように泣き出した。
「ごめんね、Fさん、我を張って、ほんまごめんね。私のやりかたが悪かった。ごめん、イヤな思いさせて。もしFさんになんかあったら思って」


こんなに一気に泣いたのははじめてだった。クルマを停めてワンワン泣いた。Fさんは私の背中をポンポン叩いて「ええよ、ええよ」となぐさめる。

Fさんはこう言った。「あたし、わかってん。春子ちゃんが『ほかのひとも罪になる』言うたから、そうやわ思てん。自分だけやないってわかってん」

え…………?! ソコかよっ?! それやったんかっ?!

その直後、グラーッと地面全体がひっくり返るような心地に襲われた。そして、バチン!とショートして火花が散った。

そうか、そうだったのかっ?! 私のホンネは「保身」だったのかーっ?! Fさんの身を案じていたんじゃなかった。まったくそうではなかった。
私はただ「自分が警察につかまりたくない」だけだったのだ。そう、それだけ。


しかしっ! 私は「そのホンネを隠したかった」のだ。そういう「自分勝手な本性」を自分にも他人にも知られたくなかったのだ。だからこそ、Fさんに正面切って「私が困るからやめてください」とは言わずに、強引に自宅まで連れて行ってしまったのだ。さらに巧妙にも店長さんの耳に入れておくという小ズルい手まで使ったうえで。

つまり、目の前のFさんはまさに私の「投影」だった。その「投影=Fさん」が、きちんと「春子ちゃんが罪を問われると困る」と語ってくれたのだ。

はああ、はいはい、たしかにFさんは「切り離して『ない』ことにした自分」そのものだねえ。そして、その「切り離した自分」がにっこり笑って「さあ、仲直りしよう」って言っている。そう言ってもらえてものすごくうれしかったから、私は泣いたのだ。だって、本当は「それ」も自分だから。

あと、Fさんのことをこの記事の上のほうでもちゃんと「私やったら」って書いとるでしょ? ほんとFさんはモロ私。


ああ、これが「投影の取り戻し」なんだなあ。それってこれほど大きな感動をともなうものなんだなあ。ここまでデカい衝撃は、まだカウンセリングでも経験がなかった。似たような現象はしょっちゅう起こっているものの、いやあ、こんなカタルシスははじめてだよ。なんだっ?! このすがすがしい解放感は!

そう、だから隠さなくていいんだよ。そのままホンネを話せばよかったんだよ。そのホンネをFさんがどう感じるかはFさんの自由なんだし。

コンビニかどっかにクルマ停めて、車内灯つけて、まずはゆっくりFさんの言い分を傾聴して、それから私は「あくまでも私の考えだけどね、もしなにかあったとき、私も罪に問われると思う。でも、そうなると私は困ると思っているんです」と、「私は、こう思う」とFさんに伝えればよかったのだ。

それを隠しちゃったんだよねえ。そもそも「そういう身勝手な自分」を「ないこと」にしたかったからね。だから、こんな大ゲンカに発展しちゃったんだよねえ。

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