「お告げ」をもらうためにふたたび先輩のウチへ向かう|パートの先輩と大ゲンカ その8

先輩Fさんは、すっかりいつも通りに戻って、自分の荷物を後席から取り出し、そしてケラケラ笑って「ありがとな、春子ちゃん。気ィつけて帰りや。ちゃんと帰れるか? ナビあるからだいじょうぶか。迷ったら電話してな」と言ってクルマから降りた。

私は、「見たくない自分」をFさんに憑依させていたことに気づいたり、しかもそいつが「仲良うしよな」っつってひゅーって自分のなかに戻って来たり、いや、たいへんなんすよ。あのさあ、いま私を見送ってぶんぶん手を振ってくれているFさんっていったい何者なんだろう?

ひとつ角を曲がったところで、私はクルマを停めて思う存分洟をかんだ。疲れ果てていた。早く帰ってちょっとでもピアノ弾きたい。ナビで自宅をセットしてまた走り出す。アタマがわちゃわちゃしていてそれこそ事故を起こしそうなので、できるだけゆっくり走る。

夜更けの田舎道はほとんどクルマもなく、信号はぜんぶ黄色になって点滅していた。あれ? こないだもこんな道走ったな。いつだったっけ? そういえばピアノのレッスンが夜だったときだね。その帰りがこんなだった。夜はピアノの音が響きすぎていろいろびっくりしたな。


音楽って夜聴くのがいいな。ほんとよかった。むかしは、そうだ、ろうそくの灯りしかなかったんだよな。夜におおぜいが集まる場ではたいまつが焚かれていたんだよな。音楽家リュリとルイ14世を描いた映画「王は踊る」(DVD)で、ほの暗い場面でたいまつがはじける音まで入っていて、ああこんな時代だったんだと感慨深かった。

ええと、そうだ、私はいまバッハ/フランス組曲5番ジーグを左手だけ暗譜しているとちゅうだった。どのぐらい覚えているか歌ってみよう。ソ|レファド レファラ レファド レファラ |シソレ レーソ ラファレ レーファ|ソラシ ラシソ ファラド ミレド……、あれ? 弾くほうがずっとマシだな。歌うのはむずかしい。でもがんばって思い出したい。

運転しながら、何度も左手パートを行ったり来たり歌っていたら、なんかかすかに着信音のようなものが聞こえた。はれ?と思ってスマホを取り出したが、画面にはなにも表示されていない。もしかしたらFさんがかけてくる可能性があるけどなんもないよ。空耳だな。それよりバッハバッハ、タンタタンタ、ジーグは楽しい踊り。

バッハをぐるぐるやっている最中、やっぱりときどきジャマな音が遠くから聞こえる。ええい、うるさいな、私はいま忙しいんじゃ。


だいぶんウチまで帰った来たとき、トイレに行きたくなってコンビニの駐車場にクルマを停めた。エンジンを切ったそのとき、また着信音が聞こえた。静寂のなかで、さすがにその音の発信源はわかったよ。Fさんのスマホだった。助手席ダッシュボードの下にある小物入れに、Fさんのスマホを発見したわっ!

あちゃーっ! まだ鳴っているスマホを手に取りケースを開いたら、ケース左側にはFさんの運転免許証が差し込んであるので見えて、あれまあと思いながら、Fさんのスマホに応答した。

「春子ちゃーん、ごめんなあ」「いやいや、かまいませんよ。いま〇〇におるから、ゆっくり戻ります」「ごーめーんー、ほんまごめんなあ」

まあ、きっとこれもなにか意味があるのだ。理由はわからなくていい。これから私はもう一度Fさんのところへ行けばいいだけだ。てか、バッハが悪いんやあ! おまいがややこしい左手作曲するから、暗譜でけへんでこないなったんやんけっ?!


ふたたび夜道を粛々と走る。ちなみに私は、運転しながらなにかを聞けない。無音状態でないと運転できないのだ。だからほらね、左手歌うなんてやってたら、着信音らしきものが聞こえてもそれを不審に思うことすらできないんだよね。

とはいえ、さすがにやれやれとも思っていた。だって、ピアノの練習時間が確実に減るもんね。

けれども、そうしてFさんのウチへ戻ることには、重大な意味があった。そう、最後の最後にメガトン級の爆弾が落ちてきた。

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