最終講1日目、午前中いっぱいは講義で、午後はいよいよひとりずつプレゼンテーションだった。
プレゼンの順番は、自分がやりたい番号を申し出て、複数の場合はじゃんけんで決める。私は、自分の好きなピアニストが1月5日生まれなのでぜひ5番目にやりたくて、運よくじゃんけんにも勝ってしまった。
「ビリーフリセット・リーダーズ講座」は、ベーシック(3~7月)とアドバンス(9~12月)で構成されており、ベーシックの最後のときもプレゼンを行なったので、今回で2回目だ。
ひとりめのプレゼンがはじまってすぐ、その受講生さんの変わりっぷりにひどく驚いた。まず目の輝きがちがう。顔つきや表情もさいしょのころとは別のひとのようだ。
次のひともそうだった。それからあとのひともそうだった。みんなベーシックのころとは劇的な変化を遂げていた。自分の正体をつかみあぐねて、うつろな目をしているひとは、もうだれもいなかった。
数々のビリーフ(思い込み、傷、囚われ)から解放されて、「本来の自分、魂の自分」につながり、そこからあふれだすものを生き生きと語っていた。
ドラマチックな変化というのは、ただそれだけで大きく心を揺さぶられる。まして、これまで心の内を語り合ってきたひとたちの変わりようなので、え? 前はあれほどことば少なに肩を落としていたというのに、ほんとに同じひとなんだろうか?
いまは信じられないほど目に光を宿して、まぶしいほど輝いているひと。
硬さがウソみたいに剥がれ落ちて、ふんわりやわらかくあたたかさをかもしだしているひと。
ひっそり気配を消していたのに、確かな存在感を示してくれるひと。
「ひとってそうかんたんに変わらない」はずなのに、たった9ヵ月間でいったいどうしてこうなった?
たぶん、それは「真心」じゃないかな。「愛」だよ。だれもが「このひとの『本当の姿』を見たい」と願ったからじゃないか?
みんなのプレゼンに、私はただ感動しよろこびを覚えていた。そして、そんな自分にもうれしかった。
なぜなら、いまの私はだれを見てもほとんど「ジャッジ」しなくなっていたからだ。
すばらしいプレゼンを見ても卑屈にならなかった。地味なプレゼンに対しても優越感を持たずにすんだ。ただフラットな気もちで「ああ、この姿が、このことばが、まさにこのひとならではなんだよねえ」と感じるだけだった。観ているだけでいられた。
そういう自分でいることにふと気がついて、やっぱりうれしかった。私もまた、変わったのだ。