さすがに疲れてきた。いろいろありすぎ。
なのだが、そもそもなぜ発表会で弾く予定の2曲がはかばかしくないのか?を考えてみた。
▼モーツァルト:ソナタK283 ト長調第1楽章 : 発表会の1曲目。
ええと、まあ、そんなにむずかしいと思ってなくてさ。すいません、ナメていました。なんとなくずっと弾いてたらなんとかなるかとぼーっとしてたけど、なんともならない。モーツァルトってすさまじくむずかしいとわかってきた、いまごろ。
このさいしょの4小節だけでも、そりゃー、もー、どんだけご指導されたか。出だしでいきなりダメなんだよねえ。それを真剣に改善しようと思わなかったんだよねえ。たぶんレッスンで100回は弾いて、ぜーんぶNGだったと思うけど、なんでしょ、それでも目が覚めなかった。
さすがに蒼くなりましてな。ようやく心を入れ替えて「まずイメージを固める → それをじっさいに弾けるようにする」って作業をはじめた。
先生のお手本演奏が大元なのだが、速すぎるしダイナミックレンジ広すぎだし、自分がめざすのはまったく不可能なので、「そういう方向で、いろいろ折り合いをつけて、自分なりの演奏」のイメージを作らないといけない。
ってのを今日やっとこしらえた、いまごろ。ふう。まあ、イメージができたら、そう弾けるように丹念に練習するのみ。冒頭部分も50回ほどやったら、わりと目鼻がついてきた、いまごろ。
ほぼモーツァルトだけ3時間ちょっと弾いてたら、うー、小マシになったか。
小マシになったら、しあわせになってきた。ええ、はい、ぼーっと弾いているだけよりもずいぶんしあわせだねえ。しあわせって練習するだけで手に入るんだねえ。
▼ショパン:ワルツ Op.69-1 : 発表会の2曲目。
ショパンに対して屈託がある。
べつにゴリゴリ掘らなくてもすぐソコに見えてるんだが、あのさ、ウチの親、ふたりともショパンが大嫌いだったんだよね。もうむかしからなんかケチョンケチョンでさ。ま、私はラジオでこっそり聞いてたけど、う~ん、いけないことをしているような罪悪感を持ってたね。
親はなんであんなにショパンを嫌っていたのかなあ?とつらつら考えてみたら、もしかすると「通俗的になりかねないところ」が嫌いだったのかもしんない。
で、その禁断のショパンが発表会の曲になっちゃって、おそるおそる弾いてみたら、先生に「即席粉末ダシみたいですね」と言われる。ああ、なんかそういうのを親がイヤがりそうと気がついて、だからショパンも手ごわいのだ。
あと、チャイコフスキーとかラフマニノフも親が嫌いだったからやっぱり聞かないなあ。ちなみにバッハはふたりとも「ようわからん」っちゅーてレコードはなし。いっちゃんよく聞かされたのはベートーベン。それにオペラがどっさり。モーツァルトも多かった。偏りすぎじゃのう。
でも、いましばらくはショパンをがんばるつもり。インスタントじゃなくて薄味であっさりした風味にしたいなあ。
いったい自分はなにを弾きたいのか?
すると、やっぱりバッハだ。なんかますます拍車がかかってきてヤバい。年末年始はまたロ短調ミサ曲にハマッて、合唱で使ってた楽譜出してきてソプラノⅡを歌ったりしてた。もう声ぜんぜん出ないけど、ちょっとでも歌えるとしあわせで泣けたりする。
山は、延べ600山ほど登ってみたら、最終的に「草原のある山が大好き」に行き着いた。ちゃちい草原でもぜんぜんかまわない。なので、結局「二上山(にじょうざん)/517m」でOKに成り果てて、じゃあ北アルプスだの南アルプスだのテント担いで縦走してたのはなんだったんだろう?
え? そのぐらいでしあわせになれるの?
ピアノもそうかもしれない。まだ一気に達観できないけど、「二上山でひなたぼっこしている程度」でじゅうぶんしあわせになれるような予感がすでにねえ。バッハの小品を愛でているだけでええんかなあ。