ひとりぼっちで不幸でありつづける理由

なかなかシビアな状況である。

今朝7時35分にうちを出て、パートがめちゃくそ忙しくて、またおもくそミス連発して、それなりに注意されたり後始末をしたりで、帰宅したのが夜9時55分。

さてごはんでも食べようかと思ったら、10時07分に職場のひとから電話がかかってきた。けっこう長引いた。そりゃ私が仕事覚えられないから、いろいろこまごまと。

その電話の最中に、べつの先輩パートAさんからラインが入ってきた。それも長いやつ。電話はまだ終わらない。

やっと電話が終わって、Aさんのラインの返事を打っているとちゅうに、こんどは先輩パートBさんからラインが来た。ものすごい長文だった。とてもていねいにお客さんごとの対応を書いてくれていた。


AさんBさんともに、何往復もラインのやりとりをした。ぜんぶ終わったのが夜11時25分だった。んで、晩飯食いながら、ピアノを30分だけ練習する。冷凍チャーハンだと食いながら片手練習いけまっせ。

まあ、電話もラインもタイヘンだと思ってしまったが、もとはと言えば私があまりにもちょんぼばかりするから、みんな心配して助けてくれようと思って、こうやって連絡してくれるんだよね。

私をクビにするしないは、いっちゃんエラいひとが決めることだが、私の周囲のひとたちはなんとかこのまま居られるようにと思ってくれている。お客さんにも迷惑がかからないようにとみんなが考えている。

しかし、私はピアノをほとんど練習できなかったことを悔やんでいる。

ふうん、これはなんなんだろう?


寄りによって、発表会の二日前にこういう事態が発生したのはなぜだろうか?
どういうメッセージが込められているのだろうか?

ぱっと一瞬思い浮かんだのは、みんなが私に向かって「ねえ、ちゃんとこっちに来てね。おいでよね」というイメージだった。

そう、べつにだれも私を責めてはいない。私がデキないんだったらフォローするよと手を差し伸べてくれている。

でも、その手を握ろうとしない私がいる。そうしようという思いが湧いてこない。そんなに良くしてもらっているのに、私の気もちは「ふつう」である。まあ、涙が一筋ぐらいは出たけど、すぐ「ふつう」に戻った。


ここのパートに来て、もう1年2ヵ月になるのにねえ。

この「やろうと思っても動けない」感覚は、カウンセリングの勉強ができなかったときと同じだ。心の学びが好きなのに、ちゃんと勉強する(復習する、課題図書を読む、自主トレを積極的にやる)ということがどうしてもできなくて、ギリギリ最低ラインで終わってしまった。

ふう。

対して、まずまず意欲的に取り組めるのはピアノだけだ。なまじピアノを努力せずに勝手におもしろがって練習するから、ほかのことがついおろそかになる。自分のなかでいっちゃん優先順位が高いピアノだけある程度やれてたら、ほかはどーでもいいじゃんって思ってしまう。


いやいや、それはあかんのやろな、たぶん。

だから、今日一連のことが起こったんだよね。
「もっとこっちへおいでよ」と、職場でもビリーフリセット・リーダーズ講座でも、みんなが呼んでくれているというのに。

どういうわけか、まだ動けない自分がいる。

まだスネていたい?
まだ不幸でありつづけて、親に復讐したい?

それぜんぶ止めたいんだけどね。止めたはずなんだけどね。

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