「ふつう」じゃダメなんです

先週のピアノレッスンで、モーツァルト:ソナタK332 へ長調第1楽章を弾いたところ、先生が「ふつう、ですね」とおっしゃった。
先生の前でいちど弾いてみて、その後に「ふつう」と言われることはときおりある。

けれども、こないだはとくに「ふつう」と連発された。一回通しのあと、部分ごとに数小節ずつちまちま進んでも、弾き終わるごとに「ふつう」と評される。曲の中ほどまでやって来ても、「ごくふつうですね」と先生は、そうとしか聴こえないと当たり前のようにうなずきながらおっしゃる。


この「ふつう」というのは、おそらく「ただ音が並んでいるだけで、なんら感興も起こらないつまらない演奏」という意味ではないかと、私は思う。

そのように了解しているつもりだが、あんまり「ふつう、ふつう、ごくふつう」と強調されると、いやあ、この私の人生において「ふつうですね」と真顔で言われるのは、ピアノのレッスンだけだよねえ、すげーな、そんなこともあるんだなと唸ってしまった。

日常生活で、他人が私に向かって「おかしい」「ヘンだ」「ありえない」と言うのはいつものことで、それはもう子どものころからつねづねそう言われつづけてきたし、自分でもやってること言ってることがふつうとはまったくちがうと自覚していたから、へえ、まことにそのとおりでごぜえますなのだが、ピアノに限って「ふつう」とはね。

せっかく変人なのに、そんなに「ふつう」と言われるのは心外だ。本人はこれでも「ふつうじゃないように」、つまりいちおう「ある程度のしかけ」は考えて弾いているつもりだったが、先週はまったく表現できていなかった。

いつもそうなのだが、おおざっぱなイメージはできていても、それを「表現するように弾く技術」がまったく足りない。


たとえば、このソナタのはじめ4小節なら、こんなふうにイメージしている。いいのかどうかわからんけど、私なりの解釈ね。なにか調べたわけでもなく単なる思いつき。

1小節目 いつはじまったのかわからないほど、ごく小さな芽生えのようにはじまって、
2小節目 意外な展開にやや驚いて、
3小節目 なんと6度もあでやかに高みに昇りつめて、
4小節目 そんなことをするつもりはなかったのよと、はにかむように。

自分では、4小節目で「はにかむ、恥じらう」とそこをキモにしたいのだが、ええと、そう「伝わる」ように弾けない。練習が足りん。なので、とにかくさいしょ4小節だけでも毎日50回は試行錯誤してみた。冒頭にかぎらず、どの小節でもそれなりに考えているつもり。


さて、今日のレッスン。

全体を通して弾いてみたら、「ふつう」とは言われなかった。やれやれ。

けれども、またまたおそろしくたくさんご指導を受ける。ペダルも付けることになった。いま言われてすぐ踏めるようになんて、ならないならない、できないできない。しかし踏みそこなうと容赦なくご指摘がある。長すぎたり短すぎたり、ちょうどいい按配に踏めない。

でも、冒頭4小節のところ、1回だけは「それでいいです」と言われた。ほっとした。合ってたんだなと安心した。毎日50回は裏切らなかった。


振り返ると、やっぱり「練習した回数次第だなあ」というのが実感である。このソナタであれば、数小節ずつに分けて、そのセクションごとに10~20回部分練習している。というのを6日間積み上げると、つぎのレッスンでなんとか崩壊しない。

この曲はけっこう長いから、ひと通り練習し終えるまで一日2時間はかかっているかも。しかし、そのぐらいかけないとぜんぜんダメで、そのぐらいやってもまだこんなに指導いただくことになる。

また明日から練習するのみ。
ドラマチックですばらしいソナタだから楽しいんだけどね。

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