「働くこと」の意味がようやくわかった

そういえば、私はつねに仏頂面である。とくに「時間」を基準にした場合、「長時間仏頂面」である。

なぜなのか?

それは、一日のうちで働いている時間がもっとも長いからである。働いているときはものすごく苦痛で仏頂面になるから、結果的に「長時間仏頂面で過ごす」ことになる。という生活がほぼ41年間も過ぎてしまった。

ただしこの懲役みたいな暮らしはたぶんあと6年でおしまいだ。年金が出れば「上がり」なのだ。

私は65才以降何年生きるのだろう? なんとなく85才ぐらいまで生きていそうな気がする。それまでには健康寿命が尽きて、いろんなひとに助けてもらわないと生活できなくなるはずだが、いずれにしても20年間ほどはもう働かず単なる「ごくつぶし」として生きることになる。


後年介護してもらうことを考えると、年金だけではなく介護保険や健康保険も注ぎ込んで、おそらく私が1年生きるだけでも数百万かかるようになるだろう。

亡父が脳梗塞で寝たきりになったとき、病院への支払いだけでも年間約200万かかった。おそろしいのは、これは健康保険での自己負担額であって、じっさいにはもっと多額の費用が父ひとりを生かすために問答無用で費やされているのだ。

私もそういう立場になるのかと思うと、困惑した。いやあ、そんなにしてもらうほど働いてこなかったよねえ。

しかたなくイヤイヤ仏頂面でぼーっとしているだけで給料もらって、しぶしぶそれで生きてきたけど、自動的に「上がり」になって、その後は死ぬまでだれかにめんどう見てもらえるとなるのは、うわっ、それはヤバいんじゃない?


年金をもらって働かずに済むのは非常にありがたいが、どう考えても計算が合わない。無職で貧乏な老人ひとりにそんな大金を使って、あとはどうするんだろう? なんかおかしいなあ、だいじょうぶかなあと落ち着かなくなった。

しかし、年金制度って「高齢者がしあわせでいられるように」と願って作られたんだろうね。身体が動かなくなっても困らないように、働かなくてものんびり暮らせるようにと、きっとそういう「思いやり」でこういう制度が作られたはずだ。

バレエを発展させたのはフランスのルイ14世だが、ルイ14世は舞踏家の年金制度も設立したという。その話を読んだとき、ダンサーたちの引退後まで考えていたのかと心動かされた。

まあ、制度や政治の意図なんて私にはわからないけれど、でもそれはぜんぶ「そのひとが、しあわせな一生であるために」という思いのうえに成り立っていると解釈してもべつにかまわないのだ。


働けないトシ寄りが世間に迷惑をかけてと「肩身狭く生きろよ」なんてだれも言っていない。「不幸でいろ」とも命令されていない。

ふつうのひとたちは、老人だろうがだれであろうが、「しあわせそうに笑顔でいること」を願ってくれている。

ということにハタと気がついて、じゃあそもそもいま現在、私が仏頂面をしつづけているのはいかがなものだろうとやっと思いいたった。

あのう、べつに笑っていてもいいんだよね。
わざと不幸そうにしなくていいんだ。


私は、なにかひどくカン違いをしていた。周りのひとたちは全員敵だと思っていた。スキあらば私を攻撃しようとたくらんでいるヤツばかりだと思い込んでいた。(ちなみに、そう思えてしまうのは「自己否定」があるからだ。自己攻撃が外界に投影されている。)

ちがった。そうじゃない。

私は、周りのひとたちが「私によろこびを見せてくれる存在である」と書き換えたらいいんだと気づいた。

職場というのは、そういう存在に出会える場所なんだとやっとわかった。

「働く」というのは「よろこびを見出す行為」なのだ。

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