え? ほんとうは「親にとても愛されて育った」はず?!

「ピアノを弾く理由」までもが「親に認められたいから」とわかり、さすがにそうとうげんなりしてきた。

ええと「仕事がウマくいかない理由」は「親に復讐したいため」だったよね。心理学に興味があるのも「親とのごちゃごちゃを理解したいから」だ。もはや私の行動はすべて「親」に帰着される。

どこを掘っても、結局出てくるのは「親」ばかりで、永遠に親に支配され抜け出せなくてひどくむなしい。

もとはと言えば、きっと赤ん坊のころにどうやら「理不尽なあつかい」を受けたんだよね。インナーペアレント(心に内在する親)というのは、もとを正せば単なる「記憶」に過ぎない。幼少期の「不満に感じた記憶」をずーっと蒸し返しているだけだ。

それを、もうじき59才になるまで延々根に持っている自分ってなんだろう? ちょっとぜいたくすぎるんじゃないか?


親のことをさんざんほじくり返してきたものの、まず第一に「生活に困っていた」わけでも「いのちが危うかった」わけでもない。とくに小さいころは、食べ物もじゅうぶん与えられていたし、ちゃんと整った環境で育ててもらった。

それプラスアルファとして「気もちがー、こころがー」とか求めるのは、いまの私は、あれれ? ぜいたくかなあと思っている。

そして、それほどまでなんでもかんでも「親のせい」にしてしまうということは、それだけ「親が非常に大きな存在」であって、しかもそれに自分が満足しているんだよねえ。だって、現に友だちとかいらないもんね。私は「心のなかの親」とあーだこーだするだけで今日まで生きてきた。

それで済んでしまっているのは、逆に「親からじゅうぶん愛された」証拠じゃないか?

なんだ。そういうことか。


で、私はやっぱり親が大好きなんだなあって思った。

その大好きな親からもっと欲しかったものってなんだろう?と考えたら、それは「いい子だねえ」と言ってもらうこと、私を見て笑顔になってくれること、いつも私だけを見てくれること、ぐらいだった。

え? メシとかじゃねーんだ、ってのがびっくり。
衣食住の心配なんかぜんぜんないのが当たり前だと、「いい子だねえ」とかをすっごく欲しがる、ってのにびっくりした。

なんか、高級な欲求だなあ。
恵まれた育ちみてえだなあ。

私は、そんなに大事にされてきたんだなあ。

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