私が大嫌いだったことば

気分が上がったり下がったりたいそう忙しいけど、全体的にはね、前より「ラク」になってきた。

それもさあ、またグチになるけど、なにせ(たぶん)生まれたときからしんどかったから、その「ラクな状態」を知らんわけよ。なんかずっと緊張してビクビクしっぱなしだったから「ラク」がわからん。

それでもこないだから「無罪放免」がちょびっとわかるようになった。そしたら、なるほど、これが「ラク」なのかとちょっとわかってきた。

要するに、ぼけーっとしててもだれも怒らないんだね。そりゃ、パート先では相変わらず叱られているけど、アレ怒ってるひとたちって、べつに私が憎いから怒ってるんじゃなくて、職務上しかたなく怒っとるんだよね。

でも、私が仕事デキないのは、私が悪いんじゃない。それなりにがんばっても勝手に忘れていくんだからしょうがない。なぜここまで忘れるのか、その「しくみ」は堀江さなえさん(ビリーフリセット認定カウンセラー)が送ってくださったセッションレポートのことばで判明したが、すぐには改善されない。


ちなみに、セッションレポートのなにでわかったのかというと、「水準」ということばだった。

堀江さなえさんは、そのことばになにかを感じ取っておられたのだろう。
「(水準という表現をされました)」とカッコ書きで慎重に綴ってくださっていた。

私はそれを読んだとき、ものすごくイヤーな気分になった。めたくそイヤでムカムカした。ほんまに吐き気がした。

私、ほんとはそんなこと言いたくなかったよ!と叫びたくなった。

なぜか?

それは、私の親がつねに「自分たちの水準」で子どもを値踏みしていたからだ。その水準は非常に高かった。しかし、水準に達していない子どもはバッサリ切り捨てられた。いつもそうして切り刻まれていた記憶がよみがえって、ものすごくイヤな気分になったのだった。


しかし、だ。
もうその「水準」はなくなったのだ。無罪になったからね。

だから、これから私はパートでも「水準」を考えなくていいわけだ。職場のひとたちにはそれぞれ「水準」があるだろうけど、私はもうそれを気にしなくていい。私の水準は、私が決めたらいいだけで、それは他人から見てウンと低くてもかまわない。

まあもう、「水準」なんてあってもなくてもどうでもいいんだ。絶対的な「ひとの水準」なんて存在しない。

ってなことが腑に落ちて、そしたら「ラク」になった。

ああやっと「水準」から解放されたね。

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