「草に戻りたい」私|働きたくなくて当たりめえだろ?

新進気鋭のカウンセラー/よーへい君から「陽の光をさんさんと浴びると幸せになる春子、もはや光合成する植物だね。笑」ってコメントもらった。

うおおお、そっかー、私の前世はぺんぺん草だったんかーっ?! 道理でな、何時間でもひなたぼっこしてたいわけだよ。んで、どこででも根が生えたみてえに動けなくなるのも、そっかー、動物じゃなくて植物なら当たりめえだよなあ。

もうね、並の人間めざすことがまちがいじゃねえかよっ?!と目が覚めた。

だから、おめえは草なんだからレジ打てなくていいんだよ。お客と話なんかできなくて当然さ。生えてるだけが関の山なんだよ。

ちなみに動けなくなることはよくあって、スーパーの駐車場で1時間とか、ウチのマンションの駐車場で2時間沈殿とか。なぜかクルマから出られなくてぼーっとしている。マンション横の駐車場から部屋に帰るのがもはやめんどくさいんだよね。


そういった奇行も、なるほど、草ならしゃーないわとうなづける。スキあらば「植物」に戻りたいだけだよね。

まあ、「行動」って正しいもんだよ。アタマで考えていることはたいてい「身の丈超えた理想」だ。早く部屋に戻ってピアノ練習しないと、なーんて考えていても、クルマから出られなくて、おお、ヒーターが足湯みてえでええ気もちじゃのう、のほうが優っているから、まったく身動きできない。

もともと「いまこうしておくと、あとあとメリットがある」といった計画をぜんっぜん立てられない。目の前のことしか見えへん。

長年そうできないことを「意志が弱いなあ」と責めていたけど、いやいや、おめえ草なんだろ? もうさ、草にそんなの要求してもムリなんだから、すっぱりあきらめろよ。


草の分際で、だれかから「すごい!」と言われたいなんてどうかしてたわ。その「だれか」ってモトをただせば親なんだが。その親も、正確には「私の心のなかに内在する親」であって、つまりそれは「私自身」でもある。

要するに「自分が自分を『すごい!』と思っていない」から→「自分が自分に『すごい!』と言ってほしい」という堂々めぐりをやっていただけである。ふう。

いんや、だからおめえは草でええんよ。動きたくなかったら動かんでええねん。ひなたぼっこしとったらよろしい。

ピアノだってバッハしかやりたくねえんだから、ソレだけちんたら弾いとったらかめへん。


床可視率10%でOK。まだ床見えてるうちは汚部屋住人やなんてイバられへんで。

私の「ホンモノの願い」は「草みたいにぼーっと生えていたい」だけなのだ。一日も早く「年金受給者になりたい」だけだ。

なのに、責めていたよね。なにぼーっとしとんねんって自分をダメだ思って来たよね。

「自分を傷つけるのは『自分』」なのだ。

ねえ、他人はだれひとり、おまえを責めてないじゃん?

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