「ありのままの自分でいい」とか、うんざりするほど見てきたように思うけど、はれ? そう思うひとってそんなにようけおらんのかな?
まあ、そこはだね、ひとって「見たいモンしか見ない」じゃん? 自分が興味あるモンしか目に入らないし気に留めない。
なので、私が「ありのままうんぬん」の文字に「またかよぉ~」とげんなりするのは、そもそも「ありのままかそうでないか」がエラく気になるからだ。
でも「ありのまま」に倦んでしまった私は、いま「ニセモノかホンモノか」が新鮮で興味深くてわかりやすい。
堀江さなえさん(ビリーフリセット認定カウンセラー)のブログで今日は「なぜニセモノの願いを持つのか」という記事で、そのなかに、
大体、全人類の9割以上が
ニセモノかホンモノかなんて
気にしてませんホンモノにご執心な方は
結構なレアケースなんですよ
とあって、思わず「え? そうなん?」と吹き出してしまった。あたしゃ1割かよっ?!
私は二十代後半に「母ちゃん問題を解決するのはコレや」と思って、河合隼雄とかユングとか読んでみた。ユングはさっっっぱりわからんかった。河合隼雄はねえ、なんだっけ、そのころ「登校拒否の子をどうやって学校行かせるか?」みたいなヤツかな。
そういう学校行けない子どもを河合さんがカウンセリングする話とか。んで、河合さんがその子の親に「子どもさんは『師匠』なんですよ」とか言うたり。そんなん読んで私は「そうか、子どもはワケわからんながらも、親を救うために学校行けへんようになっとるんやな」とか思ったりした。
でも、そのぐらいしかわからなくて、河合さんの書いてる「投影」や「シャドー」はぜんぜん理解できなかった。わかるひとはわかるだろうけど、結局私は、去年「ビリーフリセット・リーダーズ講座」に通ってからやっとおぼろげに見当がつくようになった。
で、たぶん私は「そういうたぐいの話」がおもしろいんだろうね。
カウンセラーさんのブログ読んで、毎日「ほほう!」って感心していたいんだろね。
「ホンモノの願いはなんやねん?」「本来の自分はどれやねん?」とか、ずっとほじくり返していたいんだよね、まだ当分。
まあ、三十年前に「ここ掘れワンワン」ってのは当たっていたけど、本読んで、ふうんって思っているうちに、阪神大震災のおかげで実家がつぶれて、ひとり暮らしできるようになって、そしたらとりあえず母ちゃん問題は喫緊ではなくなってうやむやになってもうた。
親とは物理的に距離を取れたから実害はなくなった。殴られるとかお金取られるとか、なし。ふう。思えば、これだけでも8割方ラクになっている。
しかし私は欲ばりババアだから、つぎは「パートがウマくいかねえ」と文句を垂れ、「大学行きてえ。大学行ったらすべての問題、解決する」と世迷い言を口走る。
パートはともかく、大学は恥ずかしいのう。あまりに恥ずかしくて真っ黒に塗りつぶしたくなる。
けれども、長年ずっと執着していた。んだ、んだ。「執着」ってのはまさにビリーフ(思い込み、信じ込み)じゃのう。
でも、ビリーフ掘ったら「親」が出てきた。まあ、どのビリーフにせよ、最後はもれなく「親」があらわれる。私の行動原理はすべて「親に認められたい」「親にスゴいと言ってもらいたい」「親に自分を見てもらいたい」ということに尽きる。
さすがに、飽きてきた。
てか、もともと「ぜんぶ親が大元!」が100%だ。もはやいちいちビリーフかどうか考える必要すらない。ぜんぶ「ビリーフ」っす。これからも玉ねぎの皮むくみたいに、むいてもむいてもビリーフ♪と楽しもう。
で、「ホンモノの願い」はなんなん?
玉ねぎの真ん中には、なにがある?
とっさに思い浮かぶのは「ひなたぼっこ」だね。自然のなかで、全身くまなくさんさんと陽の光を浴びていたい。
しかし、その「ひなたぼっこ」で味わう感情はなんだろうか?
そもそも「その感情を味わいたい」がゆえにひなたぼっこをするわけで、目的は「その感情」である。ひなたぼっこは「その感情を味わうための手段」である。
その感情とは「一点の曇りもなく愛されている満足感」である。
「世界と自分が渾然一体となって、至福のよろこびに包まれている」状態が欲しいのだ。
それ、山のなかだとけっこうお手軽にイケまっせ。わりとホイホイその悦びは降ってくる。
そして、ごくまれに「自分の存在が消失してしまう」ほど、強烈な愉悦に浸ることもある。だいたい100回登って1回ほどかね。忘我の境地ね。法悦みたいなのね。ソレが来ると「時間」がなくなる。世界と自分の「境界」もなくなる。
やっぱり、アレがええなあ。
バッハ?
うん、バッハも行きつくとこはいっしょやと思うねん。
でもまだ、音並べるだけでせいいっぱいやん? それじゃ法悦なんてあと何十年かかるん?みたいでさ。
けど、そう、ピアノの弦がうわぁ~んって鳴っているヤツ。
一音一音、たしかにそう響いているなあって感じられたときは、ちょっとその「悦び」に近い。
あれはとても好き。