働きたくない理由|自分の「弱さ」を受け入れるということ

いまのパートは、2019年11月にはじめた。勤めはじめても仕事をまるっきり覚えられなくて困った。そのころ、まあ一年もすればなんとかなるだろうとタカをくくっていた。一年たてばと思いつつ、たぶん半年やれば少しはなじむかと甘い見通しもうっすらあった。

しかし、それらは大きく裏切られた。いまの時点でもう1年4ヵ月を過ぎたのに、相変わらずまったく仕事ができない。電気スイッチの位置もわからないしレジも打てないままだ。おなじことを何十回教えてもらっても、まるではじめて聞くことばかりで、ついうっかり「それははじめてです」と真顔で感想をもらしてしまう。

ここに来て体調も悪くなった。悪くなってホッとした。だって言い訳ができるから。

でも、そろそろ潮時かなと思った。


私は、そもそも働きたくないんだよねえ。18才から働きはじめたけど、それ以降タダのいちども働いて楽しいと思ったことがない。働いている時間は、すべてガマンの連続で真っ黒に塗りつぶされている。ずーっと拷問に耐えているに等しい。

いったい仕事のなにがそんなにしんどいのか?

いや、仕事って「何時何分にココへ来い」って命令されるだろ? それがもはや耐えられない。

だのにしぶしぶ顔を出したら、何時間もアレをしろコレをしろと指図される。そのどれひとつ取ってみてもまったくやりたくないことばかりだ。興味も関心もないものを延々とやらされる。


そういう毎日がつづくと、私は奴隷になるために生まれたんじゃないのにと恨む。ほんと、恨んで憎しみが湧いてくる。

さらに私は、「そういうガマンを耐え忍ぶと→お金がもらえる」というシステムを理解できない。たぶんオツムの線がどっか切れてるんだと思うが、「働くと→お金がもらえる」ということがぜんぜん腑に落ちない。

そうじゃなくて、「働かなくても、ゼニくれよ」と思ってしまう。ほんとにそうとしか思えない。この世のしくみがさっぱりわからない。どうしようもない。

「働くことに対する絶大な違和感」は18才のとき、研修時から発生していて、研修最終日にみんなが別れを惜しんでいる最中、ちょうどいいから私は大泣きに泣いてみた。研修で習ったことすべてをやりたくなくてあまりにイヤで泣いたのだ。そしたらみんなが「春子ちゃん、そないに泣かんといて」ってなぐさめてくれた。


あれから40年たつけど、今日もおんなじぐらいイヤで泣きたくなる。みじんも変わらない。

そういえば、根本裕幸さんの仕事関連のセミナーでもわんわん泣いたことがある。あのー、仕事がテーマで泣くひとなんかおらんわな。でも、とちゅうで自分の来しかたを振りかえるとあまりにもつらくてたまらず涙があふれてきた。

しまいにはしゃくり上げるほどひとりで盛大に泣いていた。隣の席の女性が「ほんとに泣いていますね」と感心していた。

だって、ほんまにイヤやもん、仕事。
なんにもしたくない。


いったい仕事とどう向き合えばいいか? それを知りたくて心理学セミナーに通いはじめた。根本さんのところに数年通い、ついでコラボセミナーで大塚あやこさんにも出会い、去年は「ビリーフリセット・リーダーズ講座」も受講した。

ビリーフリセット・リーダーズ講座」では、受講生同士でカウンセリングの自主トレーニングをするけれども、私が持ち出すお題はいつも「働きたくない」だった。「ぜんぜん働きたくなくて、どうしたらいいですか?」とずっと言いつづけてきた。

はああ、ずいぶんやって来ましたなあ、「働きたくない」ってヤツ。

40年やりましたぜ。
毎日毎日「働きたくない」ってゴネてきた。


ここまで仕事をイヤがるのもめずらしいかもしれん。カウンセリングに興味があるから、けっこうそれなりに「悩みのテーマ」を知る機会があったけど、私のように「ただ単に働きたくない」と絶叫している人間は読んだり見たりしたことがない。

こうなれば、あと一年たって年金を繰上げ受給するか、もしくはそれより早くなんとかして、もうパートを辞めることにしよう。毎日泣きたくなるような境遇に身を置かなくてもいい。

先日妹が電話でこう言ってくれた。「そういうひともいるよ。うまく働けないひともいるよ」


そんなふうにやさしく言ってもらうと、なんとなく自分のホンネが見えた。
私「たぶん『おとな』になりたくないんだと思う。私はずっと『子ども』でいたいんだ。『子ども』のポジションが居心地いいんだ」

どうも「ダダをコネている」感覚がある。
はは……

とうとう「おとなになるのを拒否」しつづけて、年金をもらうところに逃げ込むんだなあ。

やっぱり私は「弱い」んだなあ。けれども、もうこれ以上は限界だ。


私は過去に一時、引きこもりだったころがある。

その引きこもりから脱出してパートをはじめようとがんばっていたとき、根本さんがセミナーのあと、小さな声で言われた。「春子さんはもうそのままでもいいんじゃないかな」

とっさに私はそのことばにものすごく反発した。せっかく努力しているのになんで水を差す?

でも同席していた受講生のみんなは、根本さんがその場を離れたあと、口々に「そうじゃなくて、とてもいたわってくれる感じだったよ。ムリしないでいいって」と言ってくれた。


ああ、根本さんには私のキャパが見えていたんだなあ。

そう、私はとても「弱い」んです。
エラそうにしているけど、人並みのことがとうていできないんです。

「それでもかまわないよ」とせっかく言ってくれたのにすみません。

ようやく等身大の自分がわかってきた。
だから、自分にできないことからは離れようと思う。

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