欲しいモノを手に入れるためにもっと貪欲になろう

あちこちの心理学セミナーを行ったり来たりしていると、ねえ、ミッションとか使命とかライフワークとか言われるんだよね。

語感として、まだライフワークはマシなんだけど、ミッションや使命って聞くと、うげえ、カンベンしてくれよおってなるんだよ。

ミッションっちゅーと「すげえりっぱなこと」で「だれかの役に立つ」「自分がなにかを提供する」みたいな、私がぜったいできないことを強いられるみたいで、即逃げ出したくなる。

さらに、ミッションや使命は、どうも「仕事」臭くて、それもかなわんのよね。

仕事はしんどいんだよお。もうぜったい働きたくない。ほんまムリ。


なので、そうか、私の場合「やりたくないことはやらないぞ」というのが、ミッションのひとつかもしれない。

じゃあ「やりたいことはなんだろう?」というと、う~ん、厳密に考えると「やりたいこと」はない。

そうではなく「感動したい」んだよね。

見たり聴いたりして感動したい。

以上。


そうそう、以前は「読んで感動」もあったんだけど、記憶力低下で文字を読めなくなったから「読む」のは脱落した。

でもまだ「見たり聴いたり」はできるぞ。

さて、「見たり聴いたりして感動」ってのはわりとネットでまかなえてしまう。そのぐらいのサイズでもけっこう満足できる。

だが、もっと欲張って「リアルで感動したい」となると、自分で動かないといけない。けっこうしんどい。いまちょこっと動いているのは指だけだったりする。

となると、欲張りであればあるほど豊かな人生になるんだなあと気がついた。


欲なんてないほうがいいみたいに思っていたけど、ちがった、欲深なほうが正しいんだ。もっと欲望をつのらせてギラギラしたほうがよろしい。

そうそう、「貪欲さ」とか「やむにやまれぬ衝動」とか、そういうのをたぎらせて「感動」を求めてみたいのう。

とりあえず、いま「プチ感動」しているのが「ツェルニー効果」である。ツェルニーを練習すればするほど、ほかの曲も弾きやすい部分が増えてきて、そう、感動している。

そして、意外なことに「指の運動」による快感ってのもあるんだねえ。むかしは山に登ることで、全身を動かす「愉悦」にひたっていたけど、そこらへんにほんの少しつながるものがちらっと見えた。

そうか、「感動」というのは、じつは「快感」のひとつなんだ。見たり聴いたりすることで得る「快感」が「感動」なんだね。

しかし、身体を動かすことで得られる「快感」もちゃんとあるじゃないか!


2年前、ピアノのレッスンを再開したばかりのころ、ピアノの先生に何度かこうたずねられた。

「なにかスポーツをしていましたか?」

え? まあ、山登りはやってましたよ。(山登りってスポーツかよ?)

と私が答えても、先生はぴんと来ないご様子だった。



けれども、いまツェルニーにハマりつつあり、ははあ、これは山登りに通じるものがあるなと思い当たり、そうか、それで先生は訊かれたんだなといまごろわかった。

山登りはあまりスポーツらしくないものの、いったん登れば一日数時間はつづける運動であり、それを何年もやっていた過去があると、やはりピアノを弾く動作になにかがあらわれるようだ。

なるほど、つまり私は「身体を動かす」ということもミッションなのかもしれない。

で、そっちももっと貪欲になったほうがよさそうだ。ピアノのためにもね。

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