「ハイ」になります、「多幸感」出ます、すると満足しちゃって動けない

「ランナーズハイ」とは、ウィキペディアによると「継続的な運動によって引き起こされる一時的な多幸感」だそうだ。

うん、それは山登りをやっているときによく味わった。やっぱりそれがあるからやみつきになって「身体を動かすことそのもの」も悦楽になった。

そしたら、ピアノの練習もやっぱり「ハイ」があるなってこのごろ気がついた。

強度は山にはおよばないけど、でも淡々粛々と練習しているときに、グッと意識が変容して、うわ、なんだこれ? ヤバいほど楽しい、そう、こうハマッて欲しかった、わはは!って壊れていくときがある。

で、楽器を弾くって運動の一種なんだねと納得している。いい音を出すために特殊な動作をしているわけだけど、私の場合、その動作そのものからスイッチが入るみたいだ。


そういえば、前から指の運動そのものがおもしろいなと感じていたし、手や腕のフォームもきれいにしたい。まだぜんぜんデキていないけど、理想的なラインを描きたくて、ああかなこうかなって試すのがすげえ楽しい。

そしたら、このごろは「速く弾くためのタカタカ系」課題が増えているため、よりいっそう運動量を増やしてタカタカタカタカやっているのだが、う~ん、そのタカタカのほうが「ハイ」になりやすい。

なんかウォーキング程度でちんたら歩くよりも、山道をザック背負ってぐっぐっと一心不乱に登っているほうが「入りやすい」のとおんなじで、ピアノも負荷をかけたほうが集中して「入りやすい」のかもしれない。

「多幸感」っていいことばだねえ。

ほんとソレ感じたくて生まれて来たよ。


もしだれかに「多幸感ってどんな感じ?」と尋ねられたら、以前なら迷わず「あそこにある!」と手近な山並みを指差しただろうが、いやあ困ったな、いまだったらピアノのフタ、かぱっと開けるのとどっちにしようかな?

「指の運動も楽しいよ」なんてお誘いするってヘン?

けれども、指を動かすことは「快感」である。

音楽だからほんとうは「いい音ありき」で、「指の運動」なんて「音のためのしもべ」じゃないといけないみたいだけど、いやいや、私の実感では「指運動そのもの」がもたらしてくれる快楽もかなり大きい。

ピアノの練習は、2年前に再開して以来おもしろかったけど、そのおもしろさが運動にも由来するとは予想外だった。でも、身体面から楽器を楽しんでもOKだよね。踊るみたいにピアノを弾きたい。ぐいぐい登るみたいに練習したい。


困ったのは、楽しみがすっかりピアノで間に合っていて、それこそリハビリのためのウォーキングをちっともはじめられないことだ。

私の脳ミソは徹底的なシングルタスク仕様で、なにか一個にかまけていると、ほかのことがぜんぶストップする。

いまはピアノにすべてが投入されており、アタマでは「ウォーキングはじめて→いつかは二上山」とわかっているものの、カラダが動かない。なので、腕周りとハラ周りばかりめきめき太くなっていく。

しかし理屈のうえでは、体幹を鍛えればピアノにもすごくいいはずだ。そこらへんから気もちを奮い立たせて、ほんとマジでウォーキングはじめよう。(また宣言)

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