イヤなことをガマンしつづけた「なれの果て」

昨日の記事で「私は『愛と感謝』がゼロだ」と書いた。

そしたら、ふたたびMちゃんがメッセージをくれた。長文のメッセで、そのなかで、
「春子ちゃんは『飾りっけなしの愛とか感謝とか100のひと』っていうイメージ」と言ってくれた。

さらに、
「愛とか感謝とか働くとかを美化しすぎな気もする、みんなもそんなでもないとおもうよ~w」

ほんまっ! それ、当たりやっ!! よく見てくれているなあ。


それって、またもや自分の母ちゃんに由来するんだよね。

母ちゃんがおもくそ「愛と感謝」を強要しよりましてな。しかもその要求水準が高すぎるんじゃ。

あのひと、愛情に飢え乾いているもんだから、どハズれた恩返しを子どもに要求しつづけて、あのー、底なし沼みたいでしてな。いやあ、疲れたわ。

もう15年ぐらい前かな。精神科医の心理療法を受けていたとき、その先生が、
「お母さんはね、春子さんにしてもらいたいわけじゃないんです」とおっしゃる。


私「あ、はい、そうですね、母は6才のときに実母に捨てられたから、やっぱり『お母さん』が欲しいんですよね」
先生「いいえ、ちがいます」
「え?」
「お母さんが欲しいのは『自分のお母さん』でもありません」
「?」
「お母さんが本当に欲しいのは『神様』なんです。
すべてを受け入れて、かつ与えてくれる万能者が欲しいのですよ。
『神様』を探すのはお母さんがやらないといけないことで、春子さんには関係ありません」

うん、このやりとりをひさしぶりに思い出したね。


そう言われてから、さらに15年間もなにやっとったんかね。ちなみに、この先生からもわりと強力に「働け、オラ」みたいにプッシュされてたよ。

んで、母ちゃんから結局「神様レベル」の「愛と感謝」を要求されてたもんだから、それでそーゆーのぜんぶを崇めたてまつるような高みに上げちゃったんだよ。

そうそう、Mちゃんの言う「美化」ってまさにそれ。

まあ、だからそこまでがんばらんでもええってことだね。ふつうのひとは、ちょぼちょぼのホニャララでちゃんと満足してくれるわけだ。

それもまあ、気が向いたらでええわな。


いま現在、仕事とか親とかで疲弊しきっているから、人間に関わるのがしんどすぎる。あ、心理のひとたちはOKなんだけど、一般のひとたちは当分だれにも会いたくないなあ。

18才のときから、どの仕事やっても「こんなのぜったいやりたくねー、こんなひとたちとも顔会わせたくねー」ってのばかりで40年すぎたけど、あんまりガマンしすぎると、なんか「向こう側」に行っちまうね。ふう。

なので、これからはもう趣味に生きる。

「引きこもり」ではなく、すでに「弾きこもり」をなるべく実行しているけど、これはだいじょうぶ。ツェルニーをきっかけに、新しいフェーズに入っていく感がある。


ウォーキングも習慣になった。あちこち痛くなるからまだ20分が限度だけど、こっちも将来もう少しなんとかなりそう。

あの精神科のお医者さんは、私の「なれの果て」を見てどう思うかな?

厳しいかただったから「こいつはとうとう逃げおって」とあきれられそうだな。

あ、いま思い出した。あのお医者さんもピアノ弾くひとだった。当時私は、自分が子どものときに弾いていたことすら忘れていたけど。

う~ん、だったら「いまはピアノやってまんねん」って言い訳したら許してくれるか。

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