パートを辞めて2ヵ月経った。
まだ制服返しに行ってねーぞ。気にはなってるんだけど、ほころびをつくろうのがメンドーで放ってあった。
約2cmほころびてるねえ。でも針と糸持ったのって、10年ぐらい前かね? いったいこの汚部屋のどこに針とか糸とかあるんじゃろう?
しかし、いつまでも制服がウチにあるのもけったくそ悪りい。
ピアノの練習は、いつも連続20分間で、そのあと休憩に入る。この休憩がたいていYouTube1時間とかになっちまって、どっちかというとYouTubeひと休みのためにピアノ弾いてるみたいになっている。
なのだが、今日はたまたま思い立って、針と糸を探し出し、てか、机の引出しのなかにあったわ。そして、ピアノの休憩のたびに、まず針穴に糸を通して→ピアノ→結びめ作って→ピアノ→制服を一針縫って→ピアノ→二針縫って→ピアノ、ってのをやってみたら、なんとつくろいが完成したわっ!
やればできるじゃん! あたし、すげえわっ! もう自分をほめたたえつづけたわっ!
つぎは洗濯だな。さあ、いったいいつになるやら。それからのち、元パート先へ返しに行くことになる。今年中には成し遂げたい。
それにしても、世間のひとたちは、仕事とか家事とかよくまあちゃんと毎日いろいろやってるもんだねえ。
あたしゃ、2cmのつくろいモンでも2ヵ月かかったよ。だいたいこんなのが自分のペースだよな。
パート辞めてからは、日がな一日のんべんだらりと過ごしているが、ああ、やっぱりコレがええ、こーゆーのがたまらんわ、もう一生コレでいてこましたろ、と毎日感激している。
とくに、起き出してから2時間ぐらいが格別にしあわせで、はあ、なんかの懲罰みたいに「何時何分にココへ来い」とか命令されることもねーし、奴隷みたいにコキ使われることもねーし、叱られたり笑われたりすることもねーし、こりゃパラダイスだよ。
「働くのが好き」というひともおるけどね。ウチの妹がずっとそうだけど。私には理解不能。妹が「こんなのが楽しいよ♪」とか話してくれるものの、ぜんぜんピンとけえへん。
そもそも「朝〇時に来い」と言われるのが猛烈に苦痛だ。なんでおまいらに合わさなあかんねん?!と文句を言いたい。まったくやりたくないことを延々やらされるのもハラが立つ。
結局「長時間ガマンしつづけると → チャリーンとゼニがもらえる」システムにぜったい納得できない。
私の望みというのは、「まったく働かずなにもしないでも、勝手に自動的にゼニが振り込まれる」ということである。それがいっちゃんうれしい。
まあ、こういう変人を救済するために、年金繰り上げ受給(65才より前に受給)って制度があるのかねえ。あと10ヵ月のシンボウだよ。
ここまで働くことに無関心なのには、だいたい「ゼニそのもの」にも関心がうすいからだろう。
むかしからよく思っていたけど、あんまりねえ、「ゼニで買えるモノ」で即しあわせになれないんだよね。とくに買い物はあかんわ。
まあ、山登りにせよ、ピアノにせよ、交通費やら楽器やらレッスン代を支払えてこそなんだけど、払ったからといって「すぐ山頂」とか「すぐ弾けました」じゃねーだろ?
ある程度のゼニは使うけど、そっから先、自分がどう動くか?で幸福度が決まるからね。
目の前に万札積んであっても、べつに「山頂の至福のよろこび」は降ってこねーじゃん? いきなり指が自由自在に動くわけねーじゃん? 音色をあやつれるわけねーじゃん? 勝手に暗譜できねーじゃん?
なので、どうしても「ゼニがなんやねん? なにしてくれんねん?」ってどっかで思っていて、すると「ゼニとパートの関係」も「は?」ってなっちまうんだよ。
だから、これから先、時間は潤沢にあるんだから「ゼニで買えないモノ」をがんばる。
ピアノ弾いて、歩いて、べつに目標はないんだけど、それやってるのはぜんぜん「は?」じゃないから、そっちだけやってみる。