いま、ブログを書けない理由│「理由」なら書けるけど

「その音に、なにが宿っているのだろう?」という文字と、「モーツァルトK282自筆譜」の画像 ピアノレッスン記録

今日は、ピアノのレッスンだったので、レッスン記事を書いておきたい。

でも、アタマが「ぶわぁ~」と、とっ散らかっていて、書けそうもないなあ。

そういえば、レッスン記事は、毎回ものすごく時間かかるのよ。

それは、どうしてなんだろう?

と、よく考えたら、その「アタマの散らかりかた」がヒドすぎて、しょっちゅう「フリーズ」しているからだとわかった。

なんでしょね?

この「ぶわぁ~」ってのは?

でも、「ぶわぁ~」のあとは、いろんなコトの「再編成」というか「組み換え」が進むんだよ。

そいで、ほんのちょっと、ピアノのフェーズが変わるというか。

そうだなあ、ほんと、毎週、なにかしら変化させてもらっているなあ。

それはちょうど、まるでカウンセリングのセッションみたいで。

あ、そうそう、カウンセリングを受けたあとの「ぶわぁ~」は、そう、レッスンのあとの「ぶわぁ~」と、おんなじだった。

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うむ、そうか。

ならば、レッスンの直後に、冷静にちゃかちゃかブログを書くのは、むずかしすぎて当然か。

それにしても、ピアノのレッスンというものが、毎回こんなに「深いところ」に潜っていくとは、まったく予想していなかった。

ほんと、カウンセリングじゃないけど、あ、この音に、こんな「屈託」があったんだ、じゃあ、その想いを大切にしてあげないと、とか。

この1小節は、もっととくべつに深堀りしないと、とか。

そんなふうに、「音は、なにを伝えたいのか?」、いつも考えて、思い巡らせて、そのためには、こっちをこう磨いて、あっちはサラッと流して、とか。

引いたほうがいいか、出したほうがいいか。

ちょっとグイッとするか、もっとためらうか。

なんの因果で、「音の言い分」ばっかり、ああだろうか、こうだろうか、と。

ふしぎ。

なんで、そんなことに、ずっと熱中しているのか、ほんとふしぎ。

でも、私は、「音の並びが、なにを言いたいのか?」について、「それは、こういうことなんですよ」と、微に入り細をうがって教えてもらうのが、とても好き。




そうだね。

それを「知る」「わかる」というだけで、ほう、なんとすばらしいと満足してしまって。

以上、おしまい、かね。

で、よくカウンセラーさんが、「クライアントさんのなかに、『深い愛』を見て感動する」と言っておられる。

ああ、それそれ。

そんな感じに近いかも。

「音の並び」に、ああ、こんな「うつくしさ」が宿っているのか、って感動ね。

え?

でも、ピアノはー、自分も弾かなきゃー。

なんか、べつに「弾くために、習っている」という気が、ぜんぜんしないけど、う~ん、来年1月は発表会だよねえ。

「こんなに変わってしまった自分」が弾くって、どんなんだろうね?

そうだ。

今日は、「『最初の一音の恐怖』の乗り越えかた」について、教えていただいた。

うわ、みんな怖いんだなあ。

けど、だいじょうぶなんだって。

「委ねかた」が、ちゃんとあるんだって。

とか、また、そんな「ふしぎな話」をこっそり聞いちゃったから、ぶわぁ~ってなって、もう書けないんだよ。

ごめんね。

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