小学生のころは童話が好きだった。
で、わりと本が好きになったかな。
そのまま三十過ぎまで、ぽつぽつ本を読んでいた。
なので、まあ、趣味は読書かと思っていた。
しかし、阪神大震災のあとに激変。
なんか脳ミソを揺さぶられたら、やにわにハイキングに目覚めてしまった。
いやあ、地震のおかげですのう。
で、登りに登って、たぶん延べ600山ほど踏んづけた。
結局、どこの山に登っても、もれなく楽しい。
そんなにねえ、山のちがいって大差はなくて。
それより天気次第。
晴れていたら、どこでもおもろいの。
北アルプスでも裏山でも、晴れてさえいりゃあ、それでええのよ。
しあわせになれるんじゃ。
で、そのしあわせって、500山と600山で「100山分ちがうか?」
いんや、そうでもない。
むしろ、すでに500山でも「たっぷりじゅうぶんしあわせ」だったから、それプラス100山って、あんまり変わらないのよ。
500でも600でも、もうそれ以上いらんわ、かんべんしてくれ、もうわかった、ヤバいほど笑いが止まらんから、もうええって、わっはっは。
ほんと山では、よく大笑いしてたわ。
早朝に稜線漫歩とかしてたら、笑いが止まらなくて、スキップしながらゲラゲラとか。
いまは、ピアノ弾きながらゲラゲラ。
どうも先月の発表会でネジがはずれたらしく、いろいろ新発見があって、ぶわあっと笑いがこみ上げてくる。
いま「弱音」に凝っているから、うわっ、こんなにちっせえ音出るわ、てか、曲の大半ちっせえじゃん、左手なんなん、わはは。
モーツァルトの左手なんて、「どんだけ小さくできまっか?」って、え? そういうルートなん? ずっとそんなんで行かんとダメなん?
そうねえ、そうだねえ、こりゃおもろいわ、イケるわ、あと十数年。
かつて、山で「底が抜けてる」から、なんとなく「自分がどのぐらいハマれるか?」の塩梅がわかるような気がする。
あと、自分好みの方向がわかると、なおよろしい。
山では、さんざんヘンなことをやってきた。
ヒトが日帰りの山でも、山中2泊3日とか、だれもおらん冬季に山頂で1泊とか。
山で寝るのが好きだから、なるべく泊まれるようなスケジュールを組む。
こういうの、ピアノでもやりたいねえ。
いまハマッてる「ちっせえ音」は、かなりツボで、ツェルニーとかずーっとぜんぶピアニッシモで弾いてる。おもろいっす。
考えたら、「ピアノの練習」ってのは、自分の好き勝手で決められる。
山のスケジュールやルートみたいに、「自分好みの練習」を開拓したらいい。
ピアノは、再開して2年10ヵ月ほど。
しかし、すでに「おもしろさのてっぺん」が、少しばかり目安がつくような。
自分がしあわせになるには、どっちの方向を向いたらいいか、とかちょっとわかるような。
これも、やっぱり山での経験があるから、なんとなくカンが働く。
まあ、要するに「高笑いしたくなる方向」をめざしたらいいんだよ。
なるべくオカしくなるように、ブレーキがはずれるように、現世に戻ってこられないようにして、「あっち」へ行っちゃったら正解なんだ。
読書なんて、もうやってるヒマないけど。