ブログを長期休止していた間に、私は人生でもっとも大きな出来事を経験した。
それは「親離れ」である。
そうなんすよ、やっとようやく「親離れ」完了。ふう。
で、それね、1ヵ月ぐらい前に完了したわけ。
そいで、そのあとすぐ61歳になったのさ。
ふつう「親離れ」は思春期に完了するわけで、あれれ?
まあ、これが私のペースであって、もうどうするわけにもいかないが、なんにせよ、親から離れて「ひとりで生きていこう」と思えるようになった。
この「親」といっても、リアル親のことではなく、「私のココロの中にいる親」ね。
子どものときからずっと引きずってきた「親像」って感じね。
いわば、その「親像」にずっと支配されて、自分じゃないような違和感をずーっと覚えていた。
だけど、いろいろあって、そりゃもういろいろあったのち、やっと「親離れ」できたの。
それ、どういう基準で「親離れ完了」ってハンコをもらえるかというと、じつは「親に感謝できた」というのがゴールなのだ。
親に対して、ああもう感謝しかない、私の親でいてくれてなんとありがたいことか!と思えるかどうか。
う~ん、それね、父に対しては「父ちゃん、神サマかよっ?!」っちゅーほどの域に達した。
しかし、母に対してはそういう感じではなく、すごく深いところに潜む「憐み」のような感情だった。
そう、父と母とでは、違いもあって、それに母に対するそういう思いは、父よりもずっと後に出てきた。
「親離れ」できたら、どうなったか?
親離れをした今、心に浮かぶのは「私は、この世に一時的に存在しているんだな」ということだ。
その「一時的」であるがゆえに、人に対して一期一会の感覚が強くなり、なんというか、一瞬一瞬を慈しむような思いが、ふっとよぎるようになった。
つまりね、「さあ!思春期おしまい。青春を楽しもうぜっ!」と思ったのに、「ええっ?もう終活?!」みたいなオチでございます。