私は極悪人だった│7年ぶりに89歳の母に電話をかけたら│その1

日々のあれこれ

私は、深く反省したのです。

なにを?

いや、その、母に対してヒドいことをしてしまったな、と。

数年前、母と同居していたが、ある日突然、私は脱走してしまった。

それ以来、母には何も連絡していなかった。

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その「脱走した日」がいつなのか? それすら、まったく覚えていない。

デジタル日記を調べたら、その日は2016年2月29日だと判明した。

いまから7年前、母は82歳だった。

しかしそのとき、私は自分のことしか考えられず、ただ母から解放されたいと思って、逃げ出したのだ。

その後は、リアル母のことはアタマにも上らず、むしろ「インナー母ちゃん」(自分のココロになかにいる母像)から、どう親離れするか?が課題だった。

だが、とくに緊急性があるわけでもなく、なんとなくウヤムヤにして過ごしてきた。

その事態が急変したのは、今年の1月。

ある「親孝行なひと」と、少しだけ話をする機会があった。

そのときの会話の一言に、私は虚を突かれた。

なんというか、そのひとの「親に対する無償の愛」が如実にあらわれていた。

そのことばを聞いてしばらく、私は涙が止まらなくなった。




いったい私はなにをしているんだろう?

いい加減ほんとうに、親のことに向き合わないといけない。

そして2月に、私は「内観」をするために、大和内観研修所へ行った。

大和内観研修所
大和内観研修所は内観創始者の吉本伊信師によって開設された研修所です。内観を通して皆さまが自分の人生をよりよく生きていけるようにお手伝いをさせていただいています。

そこで1週間泊まり込んで、ひたすら自分自身と向き合いつづけた。

その結果、ようやく「親の愛」を悟ることができたのだ。

だからまず、叔父さん夫婦を訪ねて、お詫びを申し上げた。

そして、その数日後、ようやく母に電話をかける決心がついた。

しかし、母はもう89歳である。

そもそもちゃんと電話に出られる状態なのだろうか?




意を決して、夕方5時すぎに電話をかけてみたが、ずっと出ない。

コール30回まで数えて、電話を切った。

もしかすると、老人施設の夕食かもしれない。

つぎは、夜8時にもういちどかけてみた。

10回ほどのコールののち、電話がつながった。

すると、弱々しい女性の声が、かすかに聞こえてきた。

「もしもし、どちらさまでしょうか?」

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