スマホの向こうから聞こえた、か細い声は、まちがいなく母ちゃんだった。
うわ……生きていた。
89歳でも生きていて、ちゃんと電話に出られている。
私は、できるだけ驚かさないように、ゆっくり母に話しかけた。
「あ の ね、母ちゃん、春 子 で す」
「……え?」
「春 子 で す」
「えっ?! 春子なの?」
「そうよ。ごめんね、ずっと連絡しなくて」
「え……え……、ほんとに春ちゃんなの?……信じられない」
「ごめんね、ほんと」
「えええ?……春ちゃんなの?……私、涙出てきた」
「ごめんねえ~、ごめんねえ~」
「ちがうわ……私こそごめんね、なんか……ずっと、春ちゃんに甘えていたの……ごめんなさい」
そう言って、母は何度も私に謝ってくれた。
まさか、いきなり謝られるなんて、まったく予想していなかったので、私はひどく面食らった。
けれども、そんなふうに謝られると、なんだか、そっかー、私はそんなに悪くないのかなあ?と一瞬思いかけた。
いやいやっ! そんなことはない! 断じてない!
それこそ「母に対する甘え」が、あっという間に出てきて、我ながらギョッとした。
年老いた母を7年も放ったらかしにしていた罪を、私がまず詫びないと!
しかし、母はこう尋ねる。
「春ちゃん、どうしてこの電話番号、わかったの?」
「叔父さんに聞いたんだよ」
「ああ、やっちゃんが教えてくれたんだ。
やっちゃん、あの子、やさしくてねえ。
洋子さんといっしょに、何回も来てくれたんよ。
ほんと、うれしかった。ありがたかった」
そう言って、今度は、叔父さん夫婦への感謝のことばを、何度も口にする母。
私は非常に戸惑った。
…………え?
このひとは、いったい誰だろう?
私がよく知っている母は、年がら年中怒り狂い、怒鳴り散らし、誰彼かまわず罵倒し、まるで手負いのケモノのように猛々しかった。
だのに、今、この、柔らかく穏やかな口ぶりで、静かに謝ったり感謝したりしている、この年配女性は、いったい誰なんだろうか?
しかし、そのとき、私のアタマをよぎった思いは、「ああ、このひとの『本当の姿』はこうなんだ」ということだった。
そうだ、まちがいない。
まちがいなく、今のこの姿こそが「本来の母」なのだ。