もう90歳の母と同居することにしたのは、サ高住での生活が、あまりにも不幸だったからだ。
もちろん、幸せに楽しく暮らしているヒトもいるだろう。
けれども、ウチの母にはまったく向いていなかった。
母にとって「いっちゃん不幸」だったのは「他人ばかりのなかで、気を使って暮らすこと」。
コレ、自分の親のことだから、ほんと当たり前のようによくわかるけど、ま、そもそも「他人に気を使わないヒト」もいるしね。
私なんか、非常にマイペースで、基本的に「他人が目に入らない」。
ところが、母は「つねに、四六時中、年がら年中、『他人から自分がどう思われているか?』」を察知する高性能レーダーを搭載している。
そして、これまた「つねに、四六時中、年がら年中、『他人から自分のことを「いいヒト」だと思われたい!』」という悲願、てか、もはや執念を抱きつづけている。
そしたらだね、「他人と接している間は、ずーーーっと『いいヒト』の演技をしないといけない」わけで、当然疲れ果てるのだ。
母はしょっちゅう言っているけど、
「ヒトと別れたら、ものすごくホッとして、そのあとドーッと疲れる」とのこと。
ココまで疲労困憊してでも、「いいヒト演技」をやめられないのは、生い立ちに理由があるのだ。
母の実母(私の祖母)は、母が6歳のときに家出をしてしまい、そののち、継母に育てられた。
で、そのころから、母は「新しいお母さんに好かれたい」と思って、ずっと「いい子」を演じてきたという。
結局、その当時から90歳のいまに至るまで、「自分のホンネ」はだれにも言えない状態で生きるのが、母のデフォルトになってしまった。
母から、サ高住での様子をくわしく聞けば聞くほど、いやあ、そりゃあもう……
「いいヒト」やめへんと、しまいにツブれまっせ?!
ところが、母にしたら「いいヒト仮面」をはずすことなんて、ハナから考えられない。
で、「仮面ナシ」で接することができるニンゲンてのは、世界でたったふたりしかおらんのよ。
それは、子ども。
私と妹だけ。
子どもにだけは、演技なしで、ほんとの自分でいられる。
とまあ、そこんとこは私もよくわかっていたので、だから同居した。
母はもうほとんど歩けないから、家事全般(超手抜き)は私がやる。
ヘルパーさんに来てもらってやっているのは、週3回の入浴介助だけ。
コレ、ほんとラクで、お風呂の掃除までやってもらえて、おもくそ便利すぎたのだが、よろこんでいるのは「私だけ」だと判明した。
母ちゃん「おふろ、入れてもらうの、しんどい……」と疲れ切っている。
ああ、やっぱりね。
ヘルパーさんと母との会話は、浴室の外にいる私にも聞こえてくる。
母はヘルパーさんに対して、始終「すみませんねえ、ありがとうございます、助かります」を連発。
加えて「いつもお上手ですねえ、ちょうどいい加減です、とてもていねいでいらっしゃる」とホメまくる。
お風呂のあとで、ヘルパーさんと向き合っているときでさえ、
「髪型がすてきですね」だの「お眉の描きかたがきれいですね」だの、とにもかくにも、お相手のどこかをホメて、いい気分になってもらおうと必死だ。
ソレ、毎回やっとるんスよ?
そりゃ「しんどい、やめたい、春ちゃんに入れてもらいたい」になるわさ。
ちなみに、私がシャワーをしてあげても、そうねえ……、私のこともホメてくれるのよねえ。
うん、だから、たしかに私もうれしいし、なんつーか、ほんとお世話のし甲斐がある。
母は「ヒトをいい気分にさせる才能」が傑出している。
さてさて、どうしようかね?
気を付けないと、私も「いいコドモ」でいたくなっちゃうんで、どこかで線引きしないとね。