母はどんな思いで私を育てたのか?

日々のあれこれ

母の話題は、おもに2種類。

ひとつは、サ高住のヒトたちのこと。

これまで3年間住んでいたし、気苦労が多いところだったからだろう。

もうひとつは、大むかしのこと。

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子ども(私と妹)が小さかったころの話や、母自身が子どもだった時分の話。

「大むかしの話」は、私もすでに聞いたことがあるモノが大半だが、たまにはじめて聞くヤツもある。

そういうのは興味深くそそられる。

かつ、むかしはタイヘンだったんだなあと申し訳なく思ったりする。

その手の話のひとつが、「春ちゃんを銭湯に連れて行く」というヤツ。




それも、まだ私が赤ん坊のころだという。

母「むかしは、どこのウチにもお風呂はなくて、みんな銭湯に通ってたんだよ

私「ああ、私は昭和37年生まれで、そのころはってことね」

「そうそう。

赤ちゃんって、お風呂のあと、天花粉振ったり、ベビー服着せたり、お母さんがいろいろやることあるでしょ?

だから、3人で銭湯行って、お父さんが春ちゃん連れて、男湯に入れてくれたの」

うう、ウチの父は、私をよくお風呂に入れてくれたねえ。

幼稚園ぐらいのときかな、父ちゃんといっしょにお風呂に入って楽しかった思い出がある。

母「でもね、春ちゃんは銭湯で大泣きに泣くのよ。

わあわあ泣きつづけている声が、女湯まで響いてくるから、私もおちおち入ってられなくて。

もうできるだけ早く出て、お父さんから春ちゃん受け取って……」




うげげ!

そ、そういうのが「日常」だったなんて……

母「まあ、みんなそうだったけど、紙おむつなんてないしね。

布のおむつを手洗いしてた

す、すいません。

母「離乳食もね、そのころは哺乳ビンやらなにやら、ぜんぶ熱湯消毒して。

はじめて、りんごのすりおろしを作って、ガーゼで濾して、哺乳ビンで春ちゃんに飲ませたら、あんた、お乳じゃないから、ぶしゅぶしゅ吹き出して飲んでくれなくて」

お乳ねえ、哺乳ビンねえ、たしかにそういう手間ヒマかけないと、赤ちゃんは生きられない。

しかも当時はまだ、いろんな商品も出回っていないし、不便きわまりない。

それに母の場合、「実のお母さん」がいないので、実家を頼ったり、相談できる親もいない。

90歳のいま、母がよく思い出して話したくなるのは、「子どもの赤ちゃん時代」なのだが、それだけ一所懸命情熱を傾けてくれた証拠だな。

私はといえば、究極のナマケモノでのんべんだらりと生きてきて61年。




むかしの子育ての苦労なんて、まったく想像もつかない。

だが、今年2月に大和内観研修所で「集中内観研修」を受けた。

出典 https://naikan3.com/

この7日間、ひたすら「母にしてもらったこと」「母にして返したこと」「母に迷惑をかけたこと」を考えまくった。

そのおかげで、いま母と同居して、自分の子ども時代の話を聞くとやっぱり、

「ああ、こんなに苦労して育ててくれたんだなあ」と、なにやら申し訳なくありがたい気もちがちょっと出てくる。

ま、それはほんとに「集中内観研修」のめざましい効果だね。

それに、そういった「子育ての苦労」は、じつはただひたすらに「愛」だったなあと。

子どもを愛おしいと思うがゆえに、毎日そんな苦労を重ねてくれたんだなあと。

ちょびっと思ったりする。

ちょびっとな。

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