「こんなハズじゃなかった」と老いを嘆く前に、ちょっとこう考えてみた

日々のあれこれ

「こんなハズじゃなかった。むかしはああだった、こうだった」と、日がな一日念仏のように唱えているのは、お母さまです。

母が通っていたデイサービスでも、みなさん同様に、

「こんなハズじゃなかった」と始終嘆いているのがデフォルトらしい。

母が、つい2ヵ月前まで行っていたデイは、母より年上のヒトがほとんどで、90代なかばが多かったらしい。

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ま、個人差はあって、なかには100歳でもシルバーカーを使わずに歩ける健脚のヒトもいたが、おおかたのヒトは足のおとろえがヒドい。

「足」のつぎは「排泄」。

おむつが必要になってくる。90代ともなると、わりとふつう。

足 → 排泄 → 食事の順番。

食事を自力で取れない段階になると、どうもデイには来られない模様。




けれども、「老いる」ってことは、そうなるのが「ごく自然なこと」だなあと、私は思うようになってきた。

さて、本日はひさしぶりにピアノに触ってみた。

…………ぜんぜん、指が動かなくなっていた。

あらためて「こんなハズじゃなかった」と愕然とした。

まあね、以前のもたいしたことないから、どっこいどっこいなんだけど。

なんとなく、こういうの、若かったらココまで衰退しなかったんじゃねーの?と文句を垂れたくなる。

それにしても、指、動かないねえ。

ハノンを弾いてみたら、「2秒に1音」がやっとこさ。

痛みの出ない弾きかたまで考慮したら、「3秒に1音」が妥当かもしんない。




はあ、根気よくリハビリっすねえ。

ココまでズリ下がっているとね、レッスン受けられる状態に戻すまで、う~ん、半年以上かかるっしょ?

いやあ、練習時間を延ばすのにも長期間かかるだろうし。

そうだな、もしかすると「以前の状態に戻す」ということは、あまり期待しないほうがいいかもな。

おばあさま方は「こんなハズじゃなかった」とお嘆きなのが当たり前と、母からはよく聞いている。

ただ、ふと思ったのだが、もしかすると「そうは思わない高齢者」もいるかもしれないってこと。

「若いころの自分」と「いま現在の自分」を比べない高齢者も、そうだ、いるかもしれないよね。

若いときはデキたことが、いまはデキない。

それって、単に「そういう事実」があるだけ。

だのに、その事実に対して「嘆くに値すること」「悲しいこと」「情けないこと」というレッテルを貼るか貼らないか。




なんかね、そういうネガティブなレッテルを貼らない高齢者もいるんじゃないかって思ったのよ。

で、それは「いまの私」にも当てはまるなあって。

さっき「ぜんぜん指が動かない」って書いたけど、おいおい、そりゃちがうだろ?

いや、動いてますよ、ある程度。

ちゃんと「ドレミファソラシド」って音は出てます。

だのに、「動かない、ダメじゃん」って勝手に思っている。

そんなふうに、自分の指を罵倒してちゃ、それこそ「お指」がたまんないよね。

2~3秒に1音でも、ちゃんと出そうとがんばってるんだから、その動きを認めてあげないと。

早く動かないなら動かないでも、音色に耳を澄ますとか、フォームを整えるとか、離鍵に集中するとか、やれることはいっぱいある。

「いまの指でデキること」を考えてみよう。

母だって、ココロのどこかで「いまの自分」を受け入れているところもあるだろうから、私もソコを探してみよう。

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