介護をしていてはじめてわかった「こういうありがたみ」

日々のあれこれ

現在母は「要介護2」だ。

「要介護度」というのは、次の順に重くなる。

〔軽い〕要支援1 → 要支援2 → 要介護1 → 要介護2 → 要介護3 → 要介護4 → 要介護5〔重い〕

ふうん、母ちゃん、ちょうど真ん中だね。

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「要介護2」は「見守りがあれば着替えはできるが、排せつや入浴の一部、あるいは全てに介助が必要」という状態らしい。

「2」より重い「3」は、「排せつ、入浴、着替えの全てに介助が必要。認知症の症状に対応が必要」とのこと。

母は、排泄は自分ひとりでOK。ごくまれにちょっと漏れる程度。

アタマなんて、私よりはるかに明晰。

そんな母でも、去年、まだサ高住に入所していたころ、背骨を圧迫骨折して寝たきりになったときは「要介護3」だったという。

で、3ヵ月寝たきりのあと、自分で徐々に歩く練習をして、かろうじてシルバーカーを頼りに数歩は歩けるまで回復した。




べつにだれからのサポートもなかったので、自分なりに、サ高住の廊下をヨロヨロ歩き、その歩数を少しずつ増やしていったそうだ。

こういった苦労は、たったひとりで対処していたので、ああ、かわいそうだったなあ。

私が、7年間も音信不通にしていなかったら、あるていど力になれることもあったろうに。

そう思うことはよくあるよ。

でもねえ、意外と母は「自分ひとりで、なんでもやらないといけなかった」コトについては、ぜんぜん恨みがましいことを言わない。

じっさい、ほんとに「そういう苦労が、子どもの親不孝のせい」とは思っていない。

私自身が勝手に「すいませんね、私がそばについていられなかったせいで」なーんて思って、罪悪感を覚えているだけ。

なので、最近は私も、7年母を放ったらかしにしていたことについて、

「ま、いいか。そんときゃ、母ちゃんがうっとうしくて、そばに居たくなかったんだから」と、堂々と開き直ることにした。




過去は過去。

いまはいま。

いま私は、母のことをうっとうしいとも思わなくて、まだ元気なうちに、もっとしあわせな気分を味わってもらいたいと願っている。

で、未来はわからない。

要介護2のヒトが、全員どんどん介護度が重くなるとはかぎらない。

また、介護度が重くなるほど、私の負担が大きくなるともかぎらない。

まあ、要するに未来はわからんのだから、「いま」を充実させることだね。

介護中心の生活をしていると、ふつうにごはんが食べられて、ふつうに話をして、ふつうに寝られることの「ありがたみ」が身に沁みる。

こういうのが、いつまで維持できるかわからないけど、とりあえず「今日も楽しかったね」と言える一日を積み重ねよう。

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